资源描述
桜の季節
毎年3月になると、春風が吹き始め、人々の間では必ず「今年は桜がいつ満開になるかなぁ」という話題が出てきます。3月下旬に入ると、毎日テレビなどの「桜前線」の報道を聞き、人々は首を長くして、真冬の後に一番早く咲いてくれる花の満開を待ちます。
桜は日本の国花であることはよく知られています。多くの人が私と同じように日本に来てから、自分の目で満開の桜を見てはじめて、桜とは花が咲いた後芽が出る植物であることを知り、日本人がこんなにも桜に熱狂するのだということを知ります。
桜満開のとき、日本列島はピンク色に染められています。桜の柄や色など衣食住の至るところで見られます。特に花見の名所などは、他よりもっと早く桜色に染められています。
幼いころ、親に連れられて花見に行くとき、桃や梨の花など花林の中を散歩しながら、花見をしていました。しかし、日本ではみんな桜の下に座って、弁当を食べたり、お酒を飲んだり、話をしたりして、ときには歌ったり、踊ったりもしています。特に不思議なのは普段まじめな中高年の男たちが桜の下で子供のように有頂天になって踊ったり歌ったりすることです。帰国の時、「なぜ日本人は桜の下でしかリラックスできないのですか。」と何回か友達に聞かれたことがあります。私もこのような質問をまわりの日本人の友達に聞きました。みんなからはほぼ同じような回答をもらいました。「やさしい桜は一輪が目立たないのですが、一面になると本当に感動を与えてくれます。桜は日本という国だけでなく、日本人の心も表しています。桜の下に座ってはじめて安心感を覚え、本当の自分が見つかり、一年間溜まったストレスが解消できます。」
日本で何回か花見をしたあと、友達の言っている日本人の桜に対する恋しさの解釈が少しずつわかってきました。自分もそれに共鳴を覚え、桜に対して恋しい感情が芽生え始めました。
樱花时节
每逢三月,当春风刚刚吹动时,人们便开始了每年此时必谈的话题:“今年的樱花哪天会全开呀?!”进入三月底,在媒体每天的「樱花前线」的报道中,人们更是好象坐立不安似的等待盼望着严冬后春天第一花的到来。
许多人都知道樱花是日本的国花。我知道有许多人和我一样,来到日本亲眼看到樱花盛开的情景,才知道樱花是属于那种先开花后长叶的树种,才了解到日本人对于樱花如此执着地怀恋。
在樱花时节里,整个日本仿佛是都被染上了粉红色一般,无论是衣、食、住,到处都可以看到樱花的图案、樱花的颜色等。尤其是在赏樱的“宝地”之处,更是比其它地区更早地染上了樱花的颜色。
记得小的时候,在春天被父母带去赏花时,在开满了桃花、梨花的花林中,边散步边赏花。而日本则是大家坐在樱花树下,边吃「弁当」,边喝着酒,高谈阔论,有时还会又唱又跳。尤其是平日那般严肃认真的中、高年日本男人们在樱花树下,仿佛是顽童般地手舞足蹈、引亢高歌……。回国时,多次被朋友问起:“为什么只有在樱花树下,日本人才会放松自己、打开自我?”我也曾将此等问请教于我周围的日本朋友们,大家几乎是同样地回答我:“温柔的樱花,一朵看上去并不起眼,但一群看上去会令人激动。樱花代表日本,更代表着日本人的心,只有坐在樱花的树下人们才能感受到心安、找回自我,才会将压抑了一年的情绪释放出来。”
经过在日本的几次赏樱后,我慢慢地理解了朋友们所讲的日本人怀恋樱花的解释。而且自己也被感染,渐渐地蒙发了对樱花的怀恋之情。
日漢対訳読物 02 新米
新米
日本のお米は世界で一番おいしいお米かもしれない。また秋の新米は、さらにみずみずしくいっそう美味しいものだ。毎年新米が出回るころ、料理店や米屋はみな、黄金の稲穂を描いた紙に大きな字で「新米入荷!」と書いた広告を貼り出す。
最近、白血病を患っている前千葉大学の留学生、劉学東が私に新米にまつわる話を聞かせてくれた。電話の向こうで、彼がぽたぽたと涙をこぼしているのが聞こえた。
劉学東は言った。彼には篠崎栄行さんという50すぎの日本人の闘病仲間がいた。彼も同じ白血病で、一緒に入院していたとき、彼は劉学東にいつも飲み物を買ってくれるなど、とてもよくしてくれた。劉学東が遠慮すると、彼は劉学東にこういった。「あなたは学生で大変でしょう、私は保険に入っていて入院すると毎日2万円くらい出るんです。」篠崎さんの実家は米の名産地である千葉の東金で、毎年新米が出ると、彼はいつも劉学東に10kg送ってくれて、日本人と同じように新米の芳醇な香りと豊作の喜びを分かち合わせてくれた。彼らはこの病気になると先はそう長くはないことを知っていたが、お互いの友情によって楽しく生きているのだと話していた。
篠崎さんは去年6月退院したが、今年の1月病状が悪化し再び入院した。このとき彼はすでに危篤状態で、薬ももう効かなくなっていた。7月20日、劉学東は妻の陸新紅を連れて彼の見舞いにいった。自分がもうそう長くないと知っている篠崎さんは陸新紅も不治の病を患っているらしいと聞いて、陸新紅に言った。「あなたはきっと元気に生きられますよ、天国に行ったら私が神様によくお願いしておきますから。」
8月2日、劉学東が再び篠崎さんを見舞ったとき、彼はもうとても弱っていて、身の回りの世話をしてくれている姉にむかって、「わたしはもう長くはないが、姉さん、忘れないでくれよ、新米が出たら必ず劉さんに送ってくれよ。」と言った。
8月19日、篠崎さんは静かにこの世を去った。臨終の際、彼がとても弱弱しい声で劉学東にいった最後の言葉は、中国語の「謝謝」だった。
9月12日劉学東と陸新紅は、篠崎さんのお姉さんから送られてきた新米と一通の手紙を受け取った。手紙には「弟が入院中は大変お世話になりました。ほんの気持ちばかりですが新米をおおくりします。」とあった。
中秋の満月が水のような輝きを放っているなかで、またみずみずしい香りを振り撒いている新米のなかで、二人ははらはらと涙を流した。篠崎さんは静かに逝ってしまったが、彼がもっとも残念だったのは二人に自らの手で今年の新米を贈れなかったことだろう。しかしながら彼の、その新米よりもつややかな友情、その無情な死をもってしても断ち切れない友情は、永遠に絶えることなく劉学東と陸新紅の心の中に残るだろう、この友情があるかぎり、生も孤独ではなく、死も孤独ではないのだ...。
劉学東は電話の向こうで涙に咽びながらこういった。「どうか、私の代わりに文章を書いて、私に代わってありがとうをいってください。」
私はこの美しい声をどんなにかあなたに伝えたいことか。私たちは出会ったこともない異国人だが、きっとあなたには聞こえるはずだ、見えるはずだ、篠崎栄行さん...。
新米
日本的大米也许是世界上最好吃的米了。而每年秋天的新米,吃起来更是满口清香。每到新米下来,饭店和卖米的商店都会贴出画着金黄稻穗的广告,上面用大字写着:“新米到了!”
最近,身患白血病的前千叶大学留学生刘学东给我讲了一个有关新米的故事。在电话机里,我听到了他的泪水在簌簌地坠落。
刘学东说他有一个五十多岁的日本病友叫筱崎荣行。和他一样患的也是白血病,一起住院时,他对刘学东非常照顾,总为刘学东买一些饮料什么的。在刘学东过意不去的时候,他就对刘学东说;“你是学生,很苦的,我有保险,住院每天还可以得到两万多元。”筱崎的家乡是大米的著名产地千叶的东金,每当新米下来,他都要送给刘学东十公斤,让他和日本人一起分享醇厚的清香和丰收的喜悦。他们都知道得了这种病来日不很长,但他们都说,由于彼此间的友谊,他们活得很开心。
筱崎去年六月出院了,但是今年一月病情恶化,他又住进了医院,这时他的病情已进入了危笃期,药物已经不起作用了。七月二十日,刘学东携夫人陆新红去看望他,知道自己将不久于人世的筱崎当听说陆新红也身患绝症时,对陆新红说:“你一定要好好地活下去,到了天堂我会拜托上帝照顾你的。”
八月二日,当刘学东再去看筱崎时,他已经很虚弱了,他对守在自己身边的姐姐说:“不久我就要去了,可姐姐你可不能忘记呀,新米下来要给刘先生送新米哟。”
八月十九日,筱崎静静地离开了人世。在弥留之际,他用极微弱的声音对刘学东所说的最后的一句话,是用中国话说了声“谢谢”。
九月十二日,刘学东和陆新红接到了筱崎的姐姐寄来的新米和一封短信,信中说:“弟弟住院时,多亏你们照顾他了,送上一点新米,小小的一点儿心意······”
在中秋圆月如水的清辉中,在新米散发着的清香中,刘学东和陆新红簌簌地留下了泪水。筱崎静静地去了,令他更遗憾的也许是不能亲手把新米送到两人的手里。然而他那比新米更清醇的友情、那令无情的死也无法割断的友情,永远绵绵不断地留在了刘学东和陆新红的心中,让人感到只要有了这种友情,那么,生也不孤独,死也不孤独······
刘学东在电话里哽咽着对我说:“请你在文章里替我说一声:谢谢,谢谢······”
我多想把这美好的声音传达给你,尽管我们是从未谋面的异国人,但我知道,你听得懂,也听得见啊,筱崎荣幸先生······
日漢対訳読物 03 蝉の声
私は子供の頃から中国の東北で育ったので蝉の声を聞いたことはなかった。のちに北京に出て働き、郊外の農家の敷地(庭)に住んでいた。
夏が来ると柿の木の濃い木蔭が庭をすべて覆う。こまかく砕いた金粉を篩にかけたような陽光の下、誰か一声命令したのか、紅い屋根と緑の木々のあいだで無数の透明な蝉の羽が突然陽気に動き出す。琴瑟(キンシツ)のような蝉の声が光と影のなかに流れ込み、まるで陽光の透明な手が万物の合奏を演奏しているようだ……。雨の後の蝉の声はさらに美しくて捨ておけない。
杜甫の詩に曰く:晨鐘雲外湿(朝の鐘声が雲の外側に湿っぽく響いている)。
雨の後の蝉の声も、緑の潤いをゆっくりと散る白雲のあいだに揉み込んで酷暑の中に一片の清涼をもたらし、白居易の『井底引銀瓶』(井底銀瓶を引く)のなかのすがすがしい詩句を思い起こさせる。
嬋娟両鬢秋蝉翼、宛轉雙蛾遠山色(美しい両鬢はセミのはねのようで、きれいな両の眉は遠山の色のようだ)。
その頃、私には解らなかった、どうして中国詩人のおおくが蝉の声を悲しく痛切に描くのか。たとえば洛賓王の『獄中詠蝉』(獄中に蝉を詠ず)のように、
西陸蝉声唱、南冠客思沈 不堪玄鬢影 来対白頭吟
太陽が西陸を行くといわれる秋が来て蝉が唄い始めると、異国で捕われの身となっている私の心に旅の憂いが侵み込んで来る。高潔だといわれる黒い美しい翅を持った蝉がやって来て、自分の潔白を訴えて歌う私の白頭吟の歌を聞いてくれるのを見ると、とてもたまらない気持ちだ。
李商隠の『韓弘舎人即事』では 鳥応悲蜀帝、蝉是怨斉王(鳥は蜀帝を悲しんでいると思い、蝉は斉王を怨んでいるだろう)
李商隠の詩は韓弘と柳氏との悲歓離合の故事を詠っている。ついでに「斉后化蝉」の典故を引用する。晋の崔豹の『問答釈意』のなかに書かれていることによると:
牛享問うて曰く「蝉の名、斉女なる者は何ぞや?」
答えて曰く「斉王后怒して死す。屍変りて蝉と為り、庭樹に登り、彗涙して鳴く。王悔恨す。故に世名して曰く斉女なり」
まさに蝉の声を、恨みを抱いて死んだ女の哀しい声にたとえているのだから、その蝉の声も悲しいものだと見なすことができる。
東京にきてからは経緯度の違いか何かはわからないが蝉の声を聞くのは非常に少ない。しかし蝉がいないわけではない。
一度、私の運命をお祈りしに行ったか、あるいはただ何かのついでだったかはわからないが、ある日の夕方明治神宮に行った(いやきっと観光ではない、日本に来てからずっとそんな暇はなかったのだから)。お参りをしたあとだったか、私は長い林の道を歩いていた。突然、露にしみこまれたようなかすれた蝉の声が幾層にもなった厚い葉の中から重々しく漏れ出て来た。そして風に吹かれてとぎれとぎれに鳴き続けた。私の心はさっと震え、洛賓王の詩句がわけも無く口から出てきた。
露重くして飛ぶも進み難く、風多くして響き沈み易し。
これはつまり日本の詩人がよく言う"ヒグラシ"蝉で、日本人も中国人と同じく蝉を詠う時は常に悲しみを帯びる。『万葉集』のなかに三首、蝉を詠った詩がある。巻第十に 夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
夕方のかすかな光の中に来て鳴いているひぐらし、このひぐらしはこんなにも毎日毎日聞いても決して飽きることのない声だ
ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く
ひぐらしは今こそ我が時とばかり鳴いているけれども、片思い故にか弱い女であるこの私は、一日中泣き濡れている。
とある。巻第十五では 石走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
岩に激する滝の轟くばかりに鳴きしきる蝉、その蝉の声を聞くと都が思い出される
がある。日本の詩人が蝉を詠うとき、また非常に面白いことに出会うことが出来る。それはつまり、日本語の中で、“ひぐらし蝉”と夕方を意味する“日暮”の発音が同じなのである!
听蝉
我从小生长在中国东北,没有听过蝉声,后来到北京工作,住在郊区一个农家的院子里。
一到夏天,柿子树浓浓的树荫笼罩着整个院子,筛动着点点细碎的金子一样的阳光,不知是谁一声令下,红瓦绿树间无数透明的蝉翼突然欢快地鼓动,一阵琴瑟般的蝉鸣流进光和影,像是阳光透明的手拨响了万物的合弦……。雨后的蝉鸣更是美不胜收。
杜甫诗云“晨钟云外湿”。
雨后的蝉鸣也是把一阵绿色的湿润,揉进散漫的白云之间,让酷暑中流进一片清凉,这也会令人想起白居易《井底引银瓶》中的清新诗句:“婵娟两鬓秋蝉翼,宛转双蛾远山色。”
那时我不明白,为什么有许多中国诗人都把蝉鸣写得那悲切。
如骆宾王《狱中咏蝉》:“西陆蝉声唱,南冠客思沉。不堪玄鬓影,来对白头吟。”
李商隐《韩弘舍人即事》:“鸟应悲蜀帝,蝉是怨齐王。”
李商隐在诗咏韩弘和妓女柳氏悲欢离合的故事时巧用了“齐后化蝉”的典故。
在晋人崔豹的《问答释意》中写道:
牛享问曰:“蝉名齐女者何也?”
答曰:“齐王后忿而死,尸变为蝉,登庭树,彗唳而鸣,王悔恨,故世名曰齐女也。”
将蝉鸣喻为含恨而死的女子的哀鸣,可见其声也悲。
到了东京后,不知是经纬度不对还是什么别的原因,很少听到蝉鸣,但并不是没有蝉。
不知道是为了祈祷我多舛的命运还是为了顺路,我在一个傍晚来到了明治神宫(反正不是观光,因为从到了日本就没有了这种悠闲),也许是参拜完神,我走在长长的林荫路上,突然,一阵被露水渗透般的嘶哑蝉声在层层的厚叶中沉重地泛起,又被风扯得断断续续,凄切而哀婉。
我的心猛地一颤,骆宾王的诗句不由地脱口而出:“露重飞难进,风多响易沉。”
这也就是日本诗人们常说的“暮蝉”、“晚蝉”。日本人和中国人一样,咏蝉常含悲,在《万叶集》中,有三首咏蝉之诗。卷十中有“夕影斜映,晚蝉低鸣。日日聆听,不弃不厌。”“晚蝉哀鸣,时泣时停。悲恋在心,泣之不停。”卷十中有“岩飞瀑布,阵阵轰鸣。蝉鸣不停,故国乡情。”日本诗人在咏蝉时,还可以遇到一个非常有意思的事情,那就是在日语中,“晚蝉”和“日暮”的发音是一样的。
日漢対訳読物 04 風景としての日本語
日本語と中国語は、どちらも漢字を言語の骨組みとして成り立っている。漢字のなかには、一つの文字がいきいきとした画像として完成されているものもある。これは単なる意味を伝達する記号ではなく、われわれの視覚に直接訴えかけているものでもあるように思われる。中国語を母国語とする者にとって、日本語の仮名に引き付けられる時もあり、また漢字を「薄めた」後に残された線にいささかの違和感や困惑を覚えることもある。かなの存在は既に文法的なレベルだけではなく、漢字を見る我々の視覚にとっては、そのイメージを緩和するような働きをも持っている。かなは、漢字の偏旁だという定義がある。が、厚味のないかなの筆画が、漢字の群の中を織り込むように遊泳するさまは、まるで沙漠のなかにあわれてきたオアシスのようである。
ひとつの画像としての漢字の存在を考えると、その形の豊満さもさることながら、意味空間にまで溢れ出て奥深い潭のように水底はほとんど見えてこない。人間の想像力に与える漢字の影響は、実に大きなものであるが、そのすべてが、表形でないと言い表わせないような内なる企図で、時には人に苦労を重ねさせる結果にもなる。画像は空であり、また人間を束縛する籠でもある。二つの言葉で文筆活動を行っている私は、最近になって日本語に対するイメージがずいぶん変わった気がする。
言語は、一枚の風景画のようなものだ。美術館で作品を鑑賞することを連想される方もあるだろう。人間ははじめて絵に接した時に、距離感というものを忘れがちになるが、実際に視覚と作品の関係は、作品と自分との間に存在する距離によって決められることが多い。例えば、手元に持つ絵と、それを3メートル先に置きながら見る場合、さらに10メートルも離れてその絵がひとつの点景にしか見えない場合を考えると、我々の感じ方は果たして一緒だろうか。言い換えれば、距離というものは、一枚の絵に対するわれわれの凝視を和らげる効果があるに違いがない。そして絵を除いた周りの空間は絶えず視覚の領域にしぼりこまれてきて、人間の感受性にますます大きくなっていく参照係数を提供してくれる。一枚の絵は、ただひとつの画像であるが、それは動き続ける現実の世界を切り取り紙面上に静止状態で凝固させたのであろう。人間は、生きている限り、思惟という活動を止めることが容易にできない。だから静止画像も一種の流動する感性に変わりながら、われわれの感覚を刺激することがあるように思われる。
日本語もひとつの画像であり、時には風景そのものである。とりわけ、かなと漢字の共用は、あたかも水と油を混ぜたような状態にみえる。水はかなで、透光に澄みきっている。ぎりぎりまで省略されたわずかな筆画は、まるで樹枝のように漢字の中をひっきりなしにかき回している。その一方、かなによって壊された漢字は、妙にさっぱりしている。漢字は油で、かなの中に滴らせるとすぐに凝固する。そしてその痕跡だけは、かなと共に流れ漂いはじめる。漢字はひらかなと共に揺れ動きながら、かたかなによって浮かび上がることもある。漢字は動きまわるかなによって、その隠喩が解釈されるのであろう。かなを海とすると、漢字は島である。私は、一隻の船のように海と島の間を自由に往来する。出身地が漢字の島であることは、私の宿命かもしれないが、それは実に愉快なことでもある。なぜなら私は更なる広大な空間を目の前にして、島を取り囲む大海原をも満喫することができるからである。二つの言葉で書き物をしているこの私に、神様が新しい生命を授けてくれた気がする。
日语是风景
无论是日语,还是中文,它们都是以汉字为语言框架的,而且在这一框架之中,每一个字形的出现都是通过生动的图像而完成的,这里不仅传达了具体的意义,而且还为使用者提供一个直诉视觉的机会。对于把中文当作母语的人来说,当他的目光被日语中的假名所吸引,或者被那种淡化汉字以后所呈现的简单笔划所困惑的时候,日语假名似乎就不仅是一个语法上的存在,而是变成了为视觉服务的一种印象缓冲剂。假名是汉字的偏旁,而且它每一次单薄的笔划漫游在汉字当中,有时就像沙漠中的绿洲一样。
作为一个图像的存在,汉字的形象是饱满的,它充斥了意义的空间,像一处深深的水潭,看不到水底。汉字赋予人的想像力是丰富的,但同时,凡是都以表形作为企图的内部扩张有时却令人疲劳。所谓内部扩张,是指那种非表形不可的表达方法。图像是天空,同时也是牢笼。无疑,获得如此的感受是有条件的,至少对于我个人来说,当我开始用两种语言从事写作的时候,我对日语的印象开始发生了明显的变化。
语言是一种风景画,这可以让我们联想到在美术馆里面欣赏一个作品时的情景。当人的视觉第一次跟作品接触的时候,我们或许忽略了距离的存在。但实际上,人的视线与作品之间的关系许多都是由距离决定的。你看一幅画,拿在手边看和离开它3米以外看,甚至离开它远达10米以外而把这幅画看成了一个点的时候,我们的感受能够一样吗?换句话说,距离冲淡了我们对这幅画的凝视,而画外的空间不断地挤入视觉领域,为人的感受提供了越了越大的参照系数。一幅画无怪乎是一个图像,它把动态的世界定格在一个静止的状态,但恰恰是人的思维永远不会停止活动的缘故,图像的静止却往往变成了一种感性的流动迷惑了我们的认知,乃至于把距离的概念堵之思考范围之外。
日语也是图像,有时更像风景,尤其是假名与汉字的并用,犹如水和油注入到一起的状态。水是假名,清彻而透光,看上去是一些枝节破碎的笔划在汉字中穿梭,但假名之于汉字的拆卸作用却使汉字显露出被稀释以后的爽朗。汉字是油,滴入假名当中的那一瞬间或许是凝固住的一块痕迹,它随着假名而荡漾,不仅依靠平假名的托起,而且还借助平假名的游离,使汉字的隐喻得以最大限度的释放。
日漢対訳読物 05 日本の「建前」と「本音」
恐らく日本にいる外国人の中で、日本の「建前」と「本音」に悩まされない人はいないと思います。「建前」と「本音」は、大和民族特有の表現文化です。前者は表に出しているもの、後者は内心に思っているもので、両者間のギャップは、時には天と地の差があると言っても決して過言ではありません。「建前」を通じて「本音」をいかに的確に掴むかは日本人の幼い時からの訓練の積み重ねであって、外国人の我々にとっては決して簡単に身につけられるものではありません。取りあえず、日頃からダイレクトに自分の意思を表現しない日本人が表に出している事に対しては、文字通りの単純理解は極めて危険です。
殆どの外国人は進学なり、就職なりで日本で面接を経験したことがあるわけです。そこで一つの経験談があります。もし、面接官が目の前であなたを褒め尽くしているとしたら、ほぼ結果ははずれに違いありません。
私自身も要領を得なかった経験があります。ある日、自分のアンダースカートのレースが表に露出してしまったことに全然気が付かない私は、日本の友人に「綺麗なレースですね」と声をかけられました。その意味を間違って褒め言葉として受け止めた私は、気分揚々得意になり、全く自分に対する注意とは思いもしませんでした。あの日から幾年も過ぎましたが、思い出すたびに自分の鈍感さに顔が赤くなります。
会社の有給休暇はもう一つの例です。
有給休暇は、労働法により保護される働く人の権利であり、社員として年間一定日数の有給休暇を貰えることは明白に会社の社則で決められています。しかし、だからと言って、正々堂々とその権利を享有するわけにはいかないものです。実際は、社員に権利を与えるのはあくまでも会社の「建前」であって、いったん本当に休もうとすると休む間は担当業務はほかの人に分担してもらわなければいけないので、迷惑だという事で有給休暇を取るのは会社にとっても、同僚にとっても決して喜ばしい行動ではないというのが「本音」です。その為に、年間に1ヶ月くらいの有給休暇が水の泡になってしまい、せっかくの権利を放棄せざるを得ない社員がずいぶんいます。
まあ、働いている間は自分のポジションを確保する為にやむを得ないかも知れませんが、会社を辞める前には、せめて貯まりに貯まった有給休暇を消化したいのが普通でしょう。
しかしそうもいかないのです。こんな事例があります。私が勤務している会社で日本人の同僚と外国人の同僚が同じ時期に会社を辞めました。お二人とも前々から会社に辞める意志を伝えていたにも関わらず、なかなか引き継ぎの後任者を配属してもらえませんでした。日本人同僚は有給休暇を消化するどころか、辞める前日も遅くまで残業せざるを得ず、業務処理に追われました。もちろん、当たり前ですが会社からも周りからもそれなりの評価を貰いました。一方、僑居生活の経験で自分の権利を自分で守る知恵を身につけた外国人同僚は、辞める前に自分の受けるべき権利をちょっと主張しただけで、廻りに白い目で見られてしまいました。私は外国人として、その日本人同僚の行動から、お人好し志向の日本人の民族性を幾らか読めたような気がしますが、日本企業の主張と現実の不一致に疑問を感じます。
類似事例がいっぱいあると思います。要するに、日本で生活する以上、「建前」と「本音」という文化は避けては通れないもので、みんな絶えず悩まされるうちにだんだん賢くなって、成長していくのです。
日本的「表面」和「真心」
恐怕在日本的外国人没有不被日本人的「表面」和「真心」所困惑的。「表面」和「真心」是大和民族特有的表现艺术。前者是表现在表面的,后者是内心所想的,要说两者之间的差距有时具有天壤之别都绝不言过。如何透过「表面」准确地抓住「真心」是日本人从小训练的积累,绝非我们外国人轻易可以掌握的。总而言之,在日常生活中对不直截了当地表达自己意思的日本人所言之事,从字面上去单纯理解的话,那是十分危险的。
绝大多数的外国人在日本都经历过升学或就职的面试。这里有个经验之谈:如果考官当面竭尽全力夸奖你,毫无疑问结果多半是落选。
我个人就有过不得要领的教训:有一天,我对自己的衬裙花边暴露在外毫无察觉。日本朋友便对我说「好漂亮的花边呀」。我错将这话理解成是赞扬话而得意洋洋起来,却全然不知是在提醒我。事过几年了,每当回想起来都自己的迟钝而脸红。
有薪假又是一个事例。
有薪假是受劳动法保护的就业人员的权利,在公司里的规则里面明确有规定每年职工可享用一定天数的有薪假。但是,决不可因此就大摇大摆地享用这个权利。其实,给职工权利这仅仅只是公司的「表面」,一旦真要休假,由于在休假期间所负责的工作得由其它同事分担,所以被视为添麻烦的事,休假无论对公司还是对周围的同事来讲都绝非是受欢迎的事,这就是「真心」所在。就因为此,一年内一个月左右的有薪假泡汤,特意获得的权利也不得不放弃的职工大有人在。
唉,在供职期间,人们惟恐自己的饭碗丧失,那样做也许是出于无奈。但在辞掉工作前想消化掉过去积攒下来的有薪假这是人之常情。
但是那也是不行的。有这样一个事例:在我所供职的日本企业里,日本人同事和外国人同事同时辞职。俩人都提前很早就提出辞呈。但公司却迟迟不配备接班人。无奈,那位日本人同事不要说是有机会消化有薪假了,就在辞职的前一天还不得不加班到很晚以处理业务。当然理所应该地得到了公司和周围相应的评价。可是,那位从侨居生活经历中学会自己的权利自己保护的外国人同事,却由于在辞职前稍为强调了一下自己应该享有的权利,而公司和周围就对此颇有微词。作为外国人,从那位日本人同事的行动中我仿佛能读董一点努力做好人的日本人的民族性,但对于日本企业的不言行一致而有疑问。
类似的事例不胜枚举。总之,在日本生活,就无法回避日本的「表面」和「真心」文化,因此大家都会在不断的烦恼之中渐渐地变得聪明、成长起来。
日漢対訳読物 06 料理小話(中国料理と日本料理)
料理のことを持ち出すと中国人はきっと誇らしげにこう言うでしょう。「そりゃ当然中華料理でしょう!」
たしかに、遠く数千年前には、我が先祖は『斉民要術』『玄宴春秋』『食珍録』などの書物のなかで、料理の材料、調理方法そして食物の薬効に至るまでを詳細に記載しました。
歴代の王が世界の山海の珍味を集め、天下一の料理人を雇ったことは言うまでもありませんが、宮廷の高官、裕福な商人たちまでもがその権力と財力で各地の特産物や料理人を集め、はては退職した有名な宮廷料理人を招聘し、「観之有色」(目に楽しい)、「聞之有香」(美味しそうな匂いのする)、「食之有味」(食せば美味しい)酒宴を設けてその権力を誇示しました。文人たちはさらに、その美酒佳肴を味わい、賞賛し、永遠に詩に遺しました。また、たとえ兵馬相乱れる戦乱の世の中でも、「朝に酒があれば朝に飲んで酔う」(明日は明日の風が吹く)という消極的な概念が中国人にはあり、生存のあらゆる希望をすべて「食べること」「飲むこと」につぎ込んだのです。
だから、私見によれば、中国料理は先に述べたように、泰平の世と戦乱の世のなかで積極的に消極的に発展したのだとおもいます。
これに比べて日本料理からは、平静さや優雅さ、平安が伝わってきます。日本料理のどの宴席の、どの皿、椀、鉢を見ても、その独特で珍しい「美」「雅」「静」を感じることが出来ます。思うに、ほとんどの中国人は、初めて日本料理を味わった時、私と同じように深い感動を覚えるのではないでしょうか?
以前、一人の日本人が真剣な様子で私にこう話したのを覚えています。「日本料理というものは、半分は見るもので、後の半分が食べるためのものだ」私もこの意見に賛成で、またこうも思っています。「ただ単に料理だけを味わうというのではなく、運ばれてくる皿、椀、小鉢など、料理にあわせてさまざまに変化する器の大きさやかたち、色、そして凝った盛り付けなども一緒に味わうべきだ」と。日本料理の中の「懐石料理」が使用する皿、椀、箸は、料理と日本の伝統である茶道、花道との関連、また、その時と場所に合わせたもてなしの心がもっともよく現れています。料理を味わう者は、皿、椀、鉢に盛られた料理の中から日本料理の「美」「雅」「静」を感じ、日本の伝統思想を深く理解することが出来るでしょう。
ところで、来日して随分たちますが、家族や友人と温泉旅行に行くという話があると、いつもとても嬉しくなってしまいます。実を言うと、温泉に入るのが嬉しいというのではなく、またあの「皿」や「椀」や「鉢」に会えるから嬉しいのです。もしあなたが日本で温泉にいく機会があったなら、どうか必ず、その運ばれてくる、料理と組み合わせられた「皿」「椀」「鉢」などの器に少しだけ注意を払っていただきたいとおもいます。
轻描料理
提起料理(烹调),中国人一定会很自豪地讲:“那当然是中国料理!”
的确,早在几千年前,祖先便在《齐民要术》、《玄宴春秋》、《食珍录》中,对料理的原料、料理的方法、以及食物的药用、都有过很详细地记载。
不用说是历代君王收尽天下山珍海味,任用天下最好的名厨,就连宫廷的高官,富有的商人财主也会依其权力财力,收集各地特产,厨师,甚至聘用宫廷退役的名厨,并以能够摆出一席“观之有色”“闻之有香”“食之有味”的酒宴而为炫耀,文人墨客更是以能够品尝到美酒佳肴而赞不绝口,留诗千古。即使是在兵荒马乱的战争年代里,中国人也有“今朝有酒今朝醉”的消极概念,把生存的所有希望,全部注入到“吃”“喝”中去。
所以,依我的浅见,中国料理就是如此这般的在太平盛世和战争年代中,得到了积极和消极的发展。
与此相比,日本料理就会显得十分平静,优雅,和平。你可以从它的每一个宴席的每一种碟、碗、盘中,领会到那独特的、奇特的“美”、“雅”、“静”。我想,大概所有的中国人在第一次品尝到日本料理时,都会和我一样被它深深地感到了的吧?!
记得以前一位日本朋友曾经很郑重地对我讲过:“日本料理一半是为了‘看’的,另一半才是为了‘吃’的。” 我也是赞同这种说法,而且还认为:与其说是单单品尝料理的味道,不如应该说是连同一起品味了那些、随着料理的变化端出来的、与其相配的、不断变换的盘、碗、碟的大小、形状、颜色、以及其上的料理的各种讲究摆法。日本料理中的“怀石料理”所使用的盘、碗、筷,更尤为体现出了料理与传统的“茶道”“花道”的关联,与周围环境的协调,使品尝者从每一道盛在“小盘”“小碗”“小碟”的料理中,感受到日本料理的“美”、“雅”、“静”,领会到日本的传统思想。
来日多年,每逢和家人,朋友一起去温泉旅行时,我都会很兴奋。对我来说,并不是为去“泡温泉”而兴奋,而是为又可以同那些“小盘”“小碗”“小碟”再会而感到兴奋。
倘若您有机会在日本“泡温泉”的话,请您也务必留意一下那些与端出来的与料理相配的“小盘”“小碗”“小碟”………。
日漢対訳読物 07 「なまもの」好きの日本人
食物には必ず火を通すなどして、調理されたものを口にする習慣をもつ学生にとって、日本での食文化はなかなか馴染みにくい。
日本には「生」の食べ物として広く知られている刺身以外にも、 「生肉」「生水」など、「なまで」、つまり、煮たり焼いたり乾かしたりしないで食べる物がかなりある。
「生菓子」や「生卵」など、昔から使われている言葉も多いが「生」を使った新しい言葉もどんどん生まれている。 「生チョコレート」、生クリームを多く使用し、あまり日持ちしないチョコレートのことをこう呼ぶ。「生絞り」、これはあるメーカーが自社の缶ビールに付けた商品名だ。
食べ物以外で「生」という言葉が使われる場合も多くある。「生番組」通常、テレビ番組は撮影された後編集されて放映するものだが「生番組」は撮影されると同時に放映もされる。「生脚」、これはストッキングや靴下などを履いていない状態あるいはその脚を指す。若い女性の間で作られた俗語で、主に女性の場合に使われる。
嗜好“生”物的日本人
在日本饭菜中生吃的食物很多。除了广为人知的生鱼片以外还有“生肉”、“生蔬菜”等生吃的食物。也就是说有很多食物既不用炖也不用烤就可以吃。这对于习惯了食用经过加工制作的食物的留学生来说似乎很难适应日本的饮食文化。
但是我们日本人好“生”之程度可并非一般冠有“生”字的新型食品在不断涌现。例如“生巧克力”这是指使用了较多的鲜奶油且保存期限短的巧克力“生扎啤”则是一家啤酒厂为本厂生产的罐装啤酒所起的名称。
“生”(なま)这一词汇含有“新鲜的、未经加工”之意,除了食物之外,还广泛用于其它领域。比方说“生番组”一词其意为电视直播节目。电视节目通常是在拍摄后经过编辑才播放的而“生番组”则是指不加剪辑、边拍摄边播放的节目。还有一个新词汇为“生脚”这是指女孩子脚上没有穿袜子或是穿裙子时不穿长筒丝袜。该词是产生于女青年之间的俗语,同时也主要用于女性。
早餐时吃生鸡蛋,中午一边吃着生蔬菜一边观看“生”直播电视节目,到了晚上则吃生鱼片。由此可见日本人的生活的确是离不开“生”字的。
读完这篇文章后如果你能在一分钟内造出带有“生”字的词汇那么也许可以说你是一个相当了解日本的日本通了。
日漢対訳読物 08 「多子多福」を願う伝統
中国では普通、子供の多い家庭が繁栄し幸福だとされている。だから人々は、社会的地位や身分の上下に関係なく、子供を多く生む女性に対しては、一種、感謝の気持ちを抱いている。
中国悠久の歴史の中で、儒教は重要な働きをした。儒教が理想国家としているのは周代の文王の世である。彼は100人の子供に愛されただけでなく、数万人の人々から長として仰がれた。昔から人々に知られている「百子戯蓮」はここから伝わったものである。
中国では他にも「多子多福」(子供が多ければ幸せである)の伝統的な吉祥画がたくさんある。これら家の居間に掛けられている吉祥画でよ
展开阅读全文