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宫崎骏映画环境意识.docx

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宮崎駿の映画における環境意識について はじめに 最近、環境問題はますます深刻になっているようである。しかし、人間の欲を抑えさせることはとても難しく、環境は悪くなる一方である。もし、世界中の人々が環境を守る意識も持つようになったら、環境問題も解決し易くなるであろう。 宮崎駿の作品は世界中で良い評判を受けている。彼の作品はよく人生、生存、命、環境や夢などのテーマを選び、美しい画面、想像力が豊かなストーリーで人々を神秘的な世界へ連れていくと同時に、社会の様々な問題を指摘し、皆に深く考えさせる能力を持っているようである。 そのため、このテーマを選び、本論文で宮崎のアニメーションにおける環境意識について考察し、どのように環境意識を観客に伝えているのかということを分析する。 本論 1. 宮崎駿の環境を意識した映画作成の要因 1.1 アニメーションの世界に入るまで 宮崎は、1941年1月5日、東京都文京区で生まれた。1958年、高校3年生の時に観た東映動画 現在の、「東映アニメーション株式会社」。1952年設立。アニメーション制作を主体とした、映像製作・販売を主な事業内容とする日本の企業。 製作の、日本アニメ史上発の長編アニメ映画『白蛇伝』に感動したことにより、アニメーションに関心を持つようになった。1963年、大学を卒業した後、アニメーターとして東映動画に入社した。彼は「アニメは純粋で、自分自身の想像力を貫く芸術だ。その力は詩、小説、芝居などの芸術の形に負けない」と言った。 1984年、宮崎が制作した『風の谷ナウシカ』 1984年3月公開。配給:東映 は大きく成功した。これをきっかけに、徳間書店の出資で高畑勲 たかはた いさお(1935年10月29日 - )三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。 と共にスタジオジブリを創設した。現在まで、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』 1986年8月公開。配給:東映株式会社。 『千と千尋の神隠し』 2001年7月公開。配給:東宝株式会社。 『となりのトトロ』 1988年4月公開。配給:東宝株式会社。 『もののけ姫』 1997年7月公開。配給:東宝株式会社。 など優秀な作品を創出している。スタジオジブリの作品は興行的に成功し、宮崎は国民的映像作家としての地位を確立した。また、海外にも紹介され、国際的にも高い評価を受けている。 1.2 中尾佐助の「照葉樹林文化論」の影響 宮崎はインタビュー・対談など事ある毎に植物学者中尾佐助を引き合いに出す。宮崎は中尾による「照葉樹林文化論」に深い影響を受けている。これは、ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色を持つ共通の農耕文化圏に含まれるとする学説である。ここから、同じ環境の下に育つ文化は、国家の枠を乗り越えて共通する要素をもち、共有できる物である、という視点を得たのである。 現在の日本列島からは、自然の照葉樹林はほとんど無くなってしまったが、『もののけ姫』に登場する「シシ神の森」は太古の照葉樹林の姿を描いたものだと思われる。 1.3 子供の視点  宮崎は、暴力と性描写が溢れる現代の日本のアニメーションを心配している。彼は一貫して子供に向けて作品を作り続けている。これについて、「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている。児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物だ」と公言し、その作品はほぼ子供の視点に立ち、悪役を大人にすることが多い。  そのため、宮崎の作品は自分の息子を対象に作られてきた。息子が大きくなったら、今度は友人たちの子供を対象にして作り続けている。たとえば、『千と千尋の神隠し』の上映式で、彼はガールフレンドである友人の娘のために作った作品だと説明し、スタジオジブリも、子供向けのいい映画を作るスタジオにしたいと語っていた。   1.4 社会に対する発信目的  現在、人間社会は全世界の気候が暖かくなっていることとか、森が消えていることのため、土石流や洪水などさまざまな問題に直面している。宮崎の作品は、生態バランスの問題とか日々にひどくなっていく生存の問題とかとか人と自然の共存など社会問題に注目している。例えば、作品の『もののけ姫』、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』の中では、人間は自分の生活を発展させるために、自然環境を壊してしまう。しかし、これらの作品の結末では、人間は自然の力の大きさ、偉大さをわかるようになる。宮崎は私たちに「自然を認識すること、自然を敬うこと、人と自然の共存」というようなことを教え、環境問題に目を向けさせる。 2. 宮崎駿の映画における環境意識の表現 2.1 作品の背景設定による環境意識の表現 宮崎のすべての作品を見ると、はっきり境界線が見える。代表的な作品として、『風の谷のナウシカ』、『総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ』(以下、『平成狸合戦ぽんぽこ』) 1994年7月公開。配給:東宝 、『天空の城ラピュタ』、『もののけ姫』の四つをあげることができる。 『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『もののけ姫』のような映画は、「人間生存」のテーマについて描かれている。これらの映画は寂しいシーンで人間の生存の苦境を表している。全体的に重苦しい雰囲気を感じさせる。しかし、『となりのトトロ』、『平成狸合戦ぽんぽこ』のような映画は、気楽な雰囲気で皆を楽しませ、現代の子供にとって遠い昔の田舎暮らしへの思いを呼び醒まされる。 2.1.1『風の谷のナウシカ』の物語の背景 この映画の中には、巨大で不思議な虫が出てくる。いろんな色の胞子が飛んでいて、きれいだが、マスクをしなければ、5分で肺が腐ってしまうというような千年後の世界が描かれている。そして、映画の最初のところで、「巨大産業文明が崩壊してから1000年、錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に、くさった海…腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり、人類の生存をおびやかしていた。」と、この映画に描かれている世界が説明される。これは宮崎の今の環境問題に対する不安を明らかに示している。消失した森、見渡す限り降り積もる黄砂、汚染された水源という環境で、虫と胞子は悠々と生きていけるが、人間は生きて行けない。人間は自ら苦い経験を味わわなければならない。しかし、最後には、自然は寛容な心を持ち、人間に生きるチャンスを与える。映画の結末で、菌類や虫達と人間が共存している様子が描かれる。世界は再び人間を受け入れ、穏やかな世界に戻った。自然は人間に新しい生存条件を提供してくれたのだ。 宮崎が映画を通じて、視聴者に一番伝えたがっている問題は、「これからの人間は自然にどう対処するべきか」ということだろう。この映画を見れば、「このままだと数年後、世界はこのような様子だろうか。」、「その時、人間はどこで生きられるのか。」、「千年後の人間はどうやって自然と共存するのか。」等の問題について、皆も自然に考えるであろう。 2.1.2『平成狸合戦ぽんぽこ』の物語の背景 この映画の舞台は、多摩ニュータウンである。高度経済成長期の東京の周辺では、旺盛な住宅需要に応えて、環境のよい住宅地を大量に供給するため、農地や山林の無秩序な開発が進められた。 昭和42年以来、東京都は多摩ニュータウン計画を推進し、総面積が約3000ヘクタールで、30数万人が住める団地を作るため、山林の木を切り払い、山を削り、起伏をならし、田畑を埋め、昔からの家、屋敷を潰し、多摩丘陵の山容を完全に変更させて、巨大的な造成地を造りだした。そこに緑とゆとりの広大なベッドタウンを建設するという、古今未曾有の大開発事業であった。 宮崎は、タヌキたちが家を壊された恨みを晴らすため、人間に対する決死の奇襲を始めたという物語を通じて、破壊される自然の視点を使って、自然が破壊されて行く実情を伝える。 2.1.3『天空の城ラピュタ』の物語の背景 この映画の舞台は、19世紀の産業革命の時代である。「ラピュタ」と呼ばれる「巨大なエネルギーと優れた文明を持つ」と伝説に語られる架空の城についての物語である。人々は「ラピュタ」が持つ巨大な力を手に入れようとして争う。「ラピュタ」は高度に発達した工業文明を象徴し、「飛行石」は進歩した工業技術を象徴している。これを手に入れようとすることは、18、19世紀の科学技術の著しい発展に伴って、人類文明が機械を生産する時代になり、人々は快適な生活を手に入れたが、人々はさらに高度な文明と技術を求め続け、さらに快適な生活を手に入れたがるということを表す。 しかし、この映画の最後には、進んでいる工業文明と技術の象徴である「ラピュタ」は主人公の手によって崩壊させられる。進み過ぎて人類の手に負えない技術は、自分の手で放棄しなければ、人類の生活を脅かすことになるということを訴えている。 2.1.4『もののけ姫』の物語の背景 『もののけ姫』は宮崎の環境意識を表す作品の中で、代表的な作品である。 この映画に登場する「シシ神」と呼ばれる神は一匹の鹿で、「シシ神の森」の生と死を掌握する神である。「シシ神」の存在は人間が森林を占領することを阻止している。人間は一生懸命「シシ神」を殺そうとして戦う。戦いの中で、森は破壊されて緑を失ってしまう。そしてついに「シシ神」を殺す。「シシ神」が死ぬと、森に緑が戻って来た。「シシ神」が死んだので人間はもう森を恐ろしいと思わない。主人公のアシタカは最後に、「『シシ神』は死にはしないよ、命そのものだから。」と言う。「シシ神」は、人間に、森と人間とが共存するやり方を探させるために、一度、人間に森を預けたのだと思う。 自然と共存することはすべての基本である。これも宮崎が観衆に伝えようとしている環境意識である。 2.2 セリフによる環境意識の表現 セリフはもっとも直接な表現方式である。しかし、直接的な内容のセリフで訴える訳ではない。間接的な内容を言うことによって、宮崎の映画中のセリフにはいろいろな深い意味が隠されている。 2.2.1『風の谷のナウシカ』の中のセリフ 『風の谷のナウシカ』中で、胞子は毒の瘴気を出している。この瘴気の中で、虫は生きることができるが、人間は生きていけない。人間の生存していける空間がますます狭くになっている。そこで、人間は虫と胞子しか生きられない「腐海」を焼き払って、消し去ろうと考える。人間の野心のために、戦いは避けがたい。しかし、一方で、主人公の少女ナウシカはこっそり実験をする。腐海の胞子を集めて育てることにより、腐海の秘密を明らかにする。毒の瘴気を出さない胞子を育てることに成功した実験室で次のように言う。「ここの水は城の大風車で地下500メルテから上げている水です、砂は、同じ井戸の底から集めました。きれいな水と土では、腐海の木々も毒を出さないとわかったの。汚れているのは土なんです。この谷の土ですら汚れているんです。なぜ、誰が、世界をこんなふうにしてしまったのでしょう。」宮崎は一言で環境汚染の原因を言い当てる。人間だ。この世の中で生きていけなくなってしまうのは、人間の自業自得だ。 2.2.2『平成狸合戦ぽんぽこ』の中のセリフ 『平成狸合戦ぽんぽこ』はタヌキの立場から見た、環境破壊だ。物語中におもしろいプロットがある。タヌキの鶴亀和尚はタヌキたちに寓話を教えて、「人間の言うことを素直に聞きすぎるな。」、「オラたちタヌキは人がいい。調子に乗る、サービスしすぎる、これこそ失敗の元じゃ。」と教える。ユーモラスな表現だ。また、別のタヌキのセリフには、自然環境が壊されたことについて、意味深長なセリフがある「人間はすごいですね。それまでは私たちと同じ動物の一種かと思っていたんですが、今度のことで、どうやら神と仏以上の力を持ってるらしいってことがよく分かりました。」というセリフである。人間の力を表現して、「神と仏以上」の力とはどのような風刺だろうか。最後に、物語の語り手であるタヌキの正吉が観客に、次のように語りかける。「あのう、テレビやなんかで言うでしょ、『開発が進んでキツネやタヌキが姿を消した』って。あれ、やめてもらえません?そりゃ確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのもいるけど、でも、ウサギやイタチはどうなんですか。自分で姿を消せます?」これは、「消した」という言葉の持つ意味をタヌキの立場から、わざと誤解して言っている。「消した」と言うと、「キツネやタヌキは自分の意志で姿を消した」という意味だと解釈できるからだ。そこで、確かに、自分達、タヌキは、自分の意志で姿を消したのだが、他の動物たちは人間の手で「消された」のだ、ということを忘れないで欲しい、と訴えているのだ。「姿が消えた」と言えば良いのだろう。タヌキの立場から語りかける言葉を使うことによって、観客に自分の頭で考えさせるようにしているのである。 2.2.3『もののけ姫』の中のセリフ 映画の冒頭で、「昔、この国は深い森に覆われ、そこには、太古からの神々が住んでいた。」と、説明される。映画の物語は、主人公アシタカの住む村を「タタリ神」 災いをもたらす神。物語の中で、恨みを持って死ぬとタタリ神になるとされている。 が襲う場面から始まる。アシタカは村をまもるために、タタリ神を殺した。タタリ神の正体は一頭の猪だった。猪は死ぬとき、「汚らわしい人間どもめ、我が苦しみと憎しみを知るがいい。」と言う。巫女はこの猪がどのようにしてタタリ神になったのかを語る。「深手の毒に気ぃふれ(気がふれ)、身体は腐り、走り走るうちに呪いを集め、タタリ神になってしまったのだ。」と、いうことだ。そしてその原因として、死んだ猪の身体の中にあった黒くて小さな丸い塊を示す。そして、「見なさい。あのシシ(猪)の身体に食い込んでいたものだよ。骨を砕き、腸(はらわた)を引き裂き、むごい苦しみ与えたのだ。さもなくば、シシがタタリ神などになろうか。」と、語った。人間は自分の利益のために、自然環境を破壊し、動物を袋小路に追い詰めた。動物とほかの生物はもうこれ以上我慢できないと、人間に仕返しをした。そして、長く果てしない戦いが始まる。映画の中で、アシタカの疑問が繰り返される。それは、「森と人が争わずにすむ道はないのか、本当にもう止められないのか。」という疑問だ。この疑問は私たちに深く考えさせ、目を覚まさせる。宮崎の映画の結末は一貫してハッピーエンドだ。いつも人々に希望を与えて終わる大地は生気を回復し、アシタカはサンに「共に生きよう」と言った。この単純で典型的なセリフには様々な深い意味が込められている。 2.3 色彩による環境意識の表現 宮崎の映画を見ると、色彩豊かな映画であるという印象を受ける。しかし、それらの色彩は大きく二つに分けることができる。それは、緑色と灰色だ。 2.3.1 緑色の表現 緑の色は宮崎の映画中に一貫する色彩の表現だ。花と草が生えることとか、きれい湖とか、絵の書き方がとても微密だ。宮崎は緑で命『もののけ姫』の終末で、シシ神に首を返したとき、一瞬にして荒れ果てた大地に春が巡ってくる、黄緑色の芽を吹き、どこもかしこも生命力を取り戻した。災難に遭った後、生きて行くことの希望を見せる。このような美しい景色の表現が視聴者の目や心を楽しませ、心に深く訴える。「緑」は希望と生命を象徴する。自然の美を描き出して、自然の広い心を賛美する。『となりのトトロ』の中では、青い空、白い雲、金黄色の麦の波が描かれ、幸せな雰囲気が溢れる。この華やかな色彩は私たちに子供時の記憶を喚起させる。 草木が生い茂り活気にあふれる様子をアニメーションで再現して、大自然の生命力を視覚の楽しみとして与える。 2.3.2 灰色の表現 田舎の魅力が溢れる『となりのトトロ』が人間過去だとすれば、『天空の城ラピュタ』は人間の未来だ。ヨーロッパの科学技術が発達した産業革命の頃の様子を描くが、シーンには灰色がはびこる。灰色な空、灰色な土地、灰色なロボットたちが描かれる。「燦々と降り注ぐ陽光」というような表現はほとんど無く、重苦しい雰囲気が溢れている。これらの灰色は、破壊された世界を表し、悲しい気持ちを呼び起こさせる。 2.3.3 緑と灰色の対比 宮崎は、緑と灰色を対比させるという方法で、視覚として、メッセージを伝える。それは、欲望や権力を追求するために先進的な科学技術を求めることは愚かであるということだ。たとえ自分の欲望のためでなくても、先進的な技術を追い求めることは重要ではない。「自然に戻ること」というテーマこそ宮崎の心の声なのだ。いろいろな色彩はまさに自然そのもので、わたしたちの生活の中に無くてはならないものなのである。 結論 3. 宮崎駿の映画が考えさせること 3.1 環境意識への洞察 宮崎の作品の基本的な背景には、環境と人類との戦いがある。人類の手で変化させられる環境、という背景設定の上で、いろいろな物語が展開される。そして、作品の粗筋は大体三つに分かれている。それは「壊されて行く世界」、「人間の悟り」、「未来への憧れ」ということである。 宮崎の作品のあらすじは簡単なものであるが、魅力的な登場人物の設定や、おもしろいセリフやアクションで映画としての魅力を発揮する。描かれる世界は、現実の世界より少し誇張されている。しかし、本当の出来事かどうかは大きな問題ではない。大事なのは、何を伝えるかということだ。 人間は自分の生存のために、他の生物たちの生活空間をひどく破壊する。しかし、そのことによって、人間は、最終的に危害を受け、苦しむことになる。そのため、環境を保護することはとても重要だ。概念としての環境意識は多くの人々が持っている。しかしそれでは十分とは言えない。宮崎の映画が描く世界は、私たちに、環境意識への深い洞察を与えてくれる。 3.2 子供たちへの教育効果 宮崎の映画は、大部分の作品で「緑」のシーンが描かれることが多い。観客に作品世界の空間の広がりを意識させて、環境問題を注目させるという映画は、マスメディアから自然主義やエコロジーの視点で評価される。宮崎もそれを意識している。1986年の『天空の城ラピュタ』、1988年の『となりのトトロ』、1997年に公開された『もののけ姫』や2001年に発表した『千と千尋の神隠し』などジブリ作品は興行的に成功し、また宮崎は国民的映像作家としての地位を確立した。また、宮崎作品は国際的にも高い評価を受けて、ファン層が広がっていった。宮崎の作品が影響を及ぼす範囲はとても広く、宮崎の環境意識は多くの人々の心に深く入り込む。 アメリカディズニーの純粋な娯楽性の強いアニメーション映画と比べて、子供たちに環境保護について考えさせる、教育的な効果がある。堅苦しい教訓だけの教条主義なアニメ映画にくらべて、面白くて理解しやすい。だから、子供たちの中でとても人気がある。そればかりでなく、多くの大人達も宮崎のアニメーション映画が大好きだ。彼のアニメーション映画は、私たちの心の中の、子供時代の記憶を呼び起こさせるのだ。 おわりに 「風の通り道」作詞:宮崎駿 作曲:久石譲 森の奥で 生まれた風が 原っぱにひとり立つにれの木 フワリ掠めやって来た あれは風のとおり道 森の奥で 生まれた風が 見えない手差し伸べて麦の穂 フワリ掠め あなたの髪を 揺らして通り過ぎてく 遥かな地 旅行く風道しるべ ひとり行く あなたに贈る髪の飾り 森の奥で 生まれた風が 原っぱにひとり立つにれの木 フワリ掠めやって来た あれは風のとおり道 「となりのトトロ――イメージソング集」(CD) 徳間ジャパンコミュニケーションズ(1996)収録 これは宮崎が『となりのトトロ』で使われたBGMのために自分自身で作った歌詞だ。この中で、宮崎の心の声をあらわす。となりのトトロ」に描かれる、姉妹たちの田舎での楽しい生活は私たちの心の郷愁を誘う。しかし、これは過去を偲ぶということだけではなく、静かで美しい未来を展望する、という気持ちも含んでいる。宮崎の作品は、いつも新しい希望を与えてくれる。宮崎の映画作品は、私たちに、科学技術というものについて考え直させることや、自然に恩を感じる心などを教えてくれた。アニメ―ション映画の監督として、宮崎の力には限りがある。社会の現状を直接変えることはできないかもしれないが、その作品に含まれている環境意識は、人々に「人と自然の共存」という理想などについての認識を呼び醒まさせる。宮崎のどの作品を見ても、それは同じだ。まさに「風の通り道」の歌詞ように、宮崎の環境意識という風が私たちの心をフワリと揺らすのだ。 参考文献 [1] [日]宫崎骏 支菲娜 编译《思索与回归——日本动画片和我的出发点》 北京:《北京电影学院学报》 2004年第三期 [2] [日]中尾佐助.中尾佐助著作集 [M] <第6巻>照葉樹林文化論.札幌:北海道大学出版会,2006 [3] [日]橋本道夫著.冯叶訳.日本环保行政亲历记[M].北京:中信出版社,2007 [4] 秦刚编.感受宮崎駿[M].北京:文化艺术出版社,2004 [5] 张献民等.宫崎骏的感官世界[M].北京:作家出版社,2004 [6] 绯雨宵.宮崎駿:创造梦想与飞翔的老人[M].北京:东方电子音像出版社,2005 [7] 薛峰等.动画发展史[M].南京:东南大学出版社,2006 [8] 陈瑰丽 国际美苑[M].2008.8 《纷繁背后的纯真与深邃》辽宁:鲁迅美术学院 [9] 王清平 艺术理论[M].2008.7 《宫崎骏和他的动画》四川:四川文艺出版社 [10] 杨月枝.刘烨.电影评介[M].2007年19期.《从宫崎峻的动画片看日本人的自然观》深圳:电影评介杂志社,2007 [11] 胡忠青 电影评介[M].2006年12期.《宫崎骏动画电影中的主题与诸多元素》深圳:电影评介杂志社,2006 [12]杨晓林 电影评介[M].2006年09期.《论宫崎骏的生态观和人文困惑》深圳:电影评介杂志社,2006 [13] 鞠静 环境教育[M] 2008.8 《卡通环保大师——宫崎骏》北京:中国环境科学出版社 [14] 田瑞平.宫崎骏动画电影中的“绿色”世界[D]:[硕士学位论文].南京:南京师范大学文学院,2005年5月 网络参考文献 陈鹤冉.环保无国界——宫崎骏情感营销的居心
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