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第1課 こんにちは
(1)
こんにちは、私は王と言います。去年の六月に、留学生として日本にやって来ました。
初めのうちは、言葉や習慣の違いから失敗ばかりしていましたが、最近はこちらの生活にもだいぶ慣れてきました。大学へ通っているうちに、何でも気軽に話し合える友達もできました。
鈴木先生は私が通っている大学の先生です。御専門は言語学で、私たち留学生に日本語を教えていらっしゃいます。私が日本語について分からないことを聞きにいくと、いつも丁寧に教えてくださいます。勉強以外のこともいろいろと相談に乗ってくださいます。
先生は、現代の中国に興味がおありになるそうで、ときどき中国のことをお尋ねになります。そんな時、私は喜んで中国のことを説明して差し上げます。
私は、これから、自分が知りたいことや興味があることについて、いろいろな本を読んでどんどん勉強していこうと思っています。日本お自然や社会、歴史、文化、それに科学技術など、知りたいと思うことがいっぱいあります。小説や詩のような文化作品も日本語で読んでみたいと思っています。
旅行の計画もあります。今度の夏休みに、日本の各地を訪れようと思っています。夏休みが終わるまでに、できるだけいろいろな所に行って、見聞を広めるつもりです。
(2)
王:先生。このごろ私は、日本の文化や歴史の勉強がとてもおもしろくなってきました。
鈴木:そうですか。それならちょっといい本がありますよ。これは、日本の文化を分かりやすく解説したものです。これを貸してあげましょう。
王:ありがとうございます。では、読ませていただきます。いつごろまでお借りしてよろしいでしょうか。
鈴木:来月までいいですよ。ぜひ読んで感想を聞かせてください。
王:では、遠慮なくお借りします。ちょうど、これから、本をどんどん読んで勉強し酔うと思っていたところなんです。
鈴木:いいですね。やる気を持つのがいちばん大切ですよ。がんばってください。
第2課 王さんの日記
(1)
王さんは、毎日、日記を書いています。このあいだまでは、中国語で書いていました。けれど、先日、鈴木先生に「日本語で日記を書いてみたらどうですか。」と勧められたので、最近は日本語で日記を書いています。
6月10日 火曜日 晴れ
授業が終わってから、図書館へ行って本を借りた。図書館の前で、佐藤さんに会った。
佐藤さんは、日本人の学生の中でいちばん仲の良い友達だ。将来は日本語の教師になりたいそうだ。いつも明るく朗らかで、冗談を言って、よく私たちを笑わせる。
二人で喫茶店に行って、しばらく話をした。日本語の難しさなどについて話をしているうちに、映画の話題になった。佐藤さんは映画が好きで、週に一度は見に行くそうだ。
話がはずんで、あさっての木曜日に、いっしょに映画を見に行くことになった。あさってが楽しみだ。
6月12日 木曜日 雨
午後五時に、渋谷の駅前で佐藤さんと待ち合わせて、いっしょに映画に行った。
佐藤さんが連れて行ってくれたのは、喜劇映画だった。佐藤さんは、思い切り笑える映画が好きだそうだ。いかにも佐藤さんらしいと思った。
映画を見るのは久しぶりだ。せりふが速すぎてわかりにくに場面もあったけれど、画面を見ているうちに、なんとなく意味がわかった。それに、日本人のユーモアの感覚も、少しわかったような気がする。
映画を見るのは楽しい。そのうえ、言葉の勉強にもなる。これからは、暇を見つけて、できるだけ映画を見るようにしよう。
(2)
佐藤:どうでした。おもしろかったですか。
王:ええ、とてもおもしろかったです。思わず、吹き出してしまったところもありましたよ。
佐藤:そうですか。映画を見て笑えるなら、たいしたものですよ。私が知らないうちに、王さんはずいぶん日本語が上達したんですね。まるで、もう何年も日本にいる人のようですね。
王:そうでもないですよ。映像があったから、なんとなく意味がわかったんです。
佐藤:王さんは、ふだんあまり映画は見ないんですか。
王:ええ。去年の夏に見たきり、一年ぐらい見ていなかったんです。
佐藤:そうですか。映画は言葉の勉強になるから、できるだけ見るようにしたらいかがですか。おもしろそうな映画があったら、また誘ういますから。いっしょに見に行きましょう。
第3課 五目ずしの作り方
(1)
王さんと張さんは、今日、田中さんの家に夕食に招かれました。
田中さんは旅行会社に勤めていて、日本を訪れる外国の旅行者のために、いろいろと便宜を図ってくれます。王さんも張さんも、去年中国から日本へ来る時に、田中さんの世話になりました。
田中さんの家族は、田中さんと奥さん、それにお嬢さんの純子さんの三人です。今日は、田中さんの奥さんが、二人のために手作りの五目ずしをごちそうしてくださるそうです。王さんは早めに田中さんの家へ行って、奥さんに五目ずしの作り方を教わりました。そして、次のようなメモを作りました。
* 材料(五人前)
米・・・三合 筍・・・百グラム
しいたけ・・・四個 れんこん・・・一本
にんじん・・・五十グラム さやえんどう・・・三十グラム
海老・・・百グラム 卵・・・三個
だし汁 酒 砂糖 醤油 酢
* 作り方
五目ずしを作るには、まず始めに、普通より少し固めに御飯を炊く。そして、御飯を炊いている間に、具を用意する。
筍・しいたけは、細かく切り、だし汁・酒・砂糖・醤油で煮る。れんこんは、薄く切って、だし汁・酒・酢・砂糖で煮る。にんじん・さやえんどうは、細く切ってさっとゆでる。海老もさっとゆでる。卵は、薄く焼いてから細く切っておく。
次に、御飯が炊き上がったら、熱いうちに酢と砂糖を振りかけて混ぜる。そして、用意した具を、卵を除いて順番に混ぜ合わせる。
最後に、皿に盛り付けてから、卵を載せ、好みで、のりや紅しょうがを添えるとよい。
(2)
奥さん:王さん、五目ずしの作り方はそれほど難しくないでしょう。
王 :そうですね。でも、具を細かく切るのが難しいですね。しいたけを切っている時、もう少しで指を切りそうになりました。
奥さん:危ない、危ない。わたしも今、熱い鍋にさわって、もうちょっとでやけどをするところでした。
王 :だいじょうぶですか。
奥さん:ええ、たいしたことはありません。さあ、こうして、卵とのりと紅しょうがを載せるとできあがりです。
王 :とてもきれいですね。
奥さん:そうでしょう。見た目にきれいな料理は、食欲が出ますからね。
第4課 言葉使い~レストランで
(1)
田中 :君は何にする。
奥さん:メニューを見せてちょうだい。
田中 :ほら、メニューだよ。
奥さん:ええと、ハンバーグとライスと野菜サラダ。それから、アイスクリームがいいわ。
田中 :へえ。太るのを気にしてるわりには、ずいぶん食べるんだなあ。
奥さん:まあ、失礼ね。でも、食べ過ぎかしら。
田中 :ははは。冗談だよ。レストランなんか、めったに来ないんだから、いっぱい食べたらいいさ。ぼくは、カレーライスとコーヒーにしよう。
店員:ご注文はお決まりでしょうか。
田中:ええ。ハンバーグにライスに野菜サラダにアイスクリーム。それに、カレーライスとコーヒーをください。
店員:はい、かしこまりました。アイスクリームとコーヒーは、お食事の後でお持ちすればよろしいでしょうか。
田中:ええ、そうしてください。
店員:はい、かしこまりました。
(2)
(1) は、田中さんと奥さんが、レストランに行った時の会話です。二人が話しているところに、レストランの店員がやって来た場面です。この会話には、日本語の話し言葉の特徴が、いくつか現れています。
日本語の会話では、人間関係によって言葉使いがずいぶん変わります。家族や友達同士のような親しい関係では、「です」「ます」を使った丁寧な言い方はあまりしません。「何にしますか。」という言い方ではなく、「何にする。」と、くだけた言い方をするのが普通です。
田中さんは、奥さんに対してくだけた言い方をしていますが、レストランの店員に対しては、丁寧な言い方をしています。店員は、田中さんに向かって特に丁寧な言葉使いをしています。親しい関係でないうえに、店員とお客という立場の違いがあるので、特別丁寧なのです。
日本語には、男性と女性の言葉使いにも違いがあります。例えば、自分のことを「ぼく」と言うのは、男性特有の言葉使いです。女性は普通「わたし」と言います。逆に、「食べ過ぎかしら。」という表現は、主に女性の言葉使いです。男性だったら、「食べ過ぎかな。」などと言います。
親しさの度合いや、立場の違いなどの人間関係によって、言葉使いが変わったり、男性と女性で言葉が違ったりするのは、日本語の話し言葉の大きな特徴です。日本語のおもしろいところでもあり、また難しいところでもあります。
第5課 梅雨と日本の家屋
(1)
日本では、北海道を除いて、六月から七月にかけて、しとしとと雨の降る日が続きます。この時期を梅雨と言います。
梅雨の時期は気温が高く、湿度も高いので、とても蒸し暑く感じます。ですから、日本に住んでいる外国人は、たいてい「梅雨は苦手だ。」と言います。涼しくて乾燥した土地に育った人たちは、特に「蒸し暑くてたまらない。」と言います。
日本人は、昔から梅雨に悩まされてきました。そして、蒸し暑い気候の時でも快適に暮らすことができるように、いろいろな工夫をしてきました。
その工夫がいちばんよく現れているのは、日本の伝統的な家屋でしょう。
日本の家屋は、壁が少なく、自由に取り外しができる障子やふすまで部屋を区切ります。寒い冬の日には、障子やふすまを閉めたままで過ごします。けれど、暑い夏の日には、この障子やふすまを取り外し、家全体を一つの広い部屋のようにして過ごします。そうすると、風がよく通って、とても涼しいのです。
家屋の素材にも工夫があります。日本の家屋には、木や竹や紙など、植物性の素材が多く使われています。障子やふすまは、木と紙でできていますし、床に敷く畳の、わらといぐさを編んだものです。植物性の素材は、湿気を吸い取るので、湿度の高い風土に適しているのです。時代が変わるにしたがって、家屋の作り方も変わってきました。最近は、日本でも欧米風の建築が多くなりました。しかし、日本の風土を考えると、伝統的な家屋から学ぶことも多いと思います。
(2)
山田:やあ、張君。いらっしゃい。この雨じゃ、たいへんだっただろう。濡れなかったかい。
張 :うん、だいじょうぶだよ。そんなに強い雨じゃなかったから。ただ蒸し暑くて、汗をかいたよ。
山田:まあ、そんな所にいないで、上がれよ。こっちへどうぞ。
張 :おっ、畳の家屋だね。これが障子で、これがふすまって言うんだろう。
山田:よく知ってるね。ちょっと暑いから、障子を開けてみよう。風がよく通るよ。
張 :ほんとに涼しい風が入ってくるね。自然の風は、気持ちがいいなあ。
第6課 七夕
七月七日は七夕です。七夕の行事は、8世紀ごろに中国から日本へ伝えられました。日本では、この日、子供たちが紙に願いごとを書いて、竹につるします。
ところで、中国には、七夕にまつわるこんな古い話があります。
昔、ある所に、貧しい牛飼いの若者がおりました。若者は、兄の家で暮らしていましたが、ある日、家から追い出されてしまいました。
若者は、牛といっしょに暮らし始めました。そして、毎日とても丁寧に牛の世話をしてやりました。
ある時、牛がこう言いました。「明日、湖で天女たちが水浴びをします。天女の服が置いてあるから、赤い服を持って隠れていなさい。その服の持ち主が、あなたのお嫁さんになる人です。」
次の日、若者が湖へ行ってみると、牛が言ったとおり、天女たちが水浴びをしていました。若者は、言われたとおり、赤い服を持って隠れていました。
しばらくすると、天女たちが湖から上がってきました。一人の天女が、服がなくて困っていました。その時、「あなたの服なら、ここにあります。」と言って、若者が姿を現しました。
その天女の名前は、織姫と言いました。織姫は、天の神様の孫でした。
二人は、すぐに仲良くなりました。若者は織姫に、「人間の世界に残って、わたしと結婚してください。」と言いました。
二人は、結婚して幸せに暮らし始めました。毎日が楽しくてなりませんでした。かわいい男の子と女の子も生まれました。
ある日、牛が若者に言いました。「わたしが死んだら、わたしの皮をとっておきなさい。そして、困ったことがあったら、その皮を体にかけなさい。」そう言い残して、牛は死んでしまいました。
そのころ、天の国では、神様が織姫を探していました。織姫が人間の世界から帰って来ないので、神様はとても怒っていたのです。そして、二人がいっしょに暮らしているのを知って、連れ戻しに来ました。
神様は、織姫を連れて、天に昇っていきました。その時、若者は、牛が言ったことを思い出して、牛の皮を自分の肩にかけました。皮を着たとたんに、若者の体は、天に舞い上がりました。
若者は、一生懸命追いかけました。そして、もう少しで追いつきそうになりました。けれども、神様が大きく腕を振ると、若者の目の前に、大きな天の川が現れました。若者と織姫は、天の川を挟んで、離れ離れになってしまったのです。
織姫は、悲しくて悲しくて、毎日泣いてばかりいました。そして、毎日若者に会いたがっていました。神様は、そんな織姫の姿を見ると、かわいそうでなりません。そこで、年に一回、7月7日だけ、二人が会うことを許してやりました。
7月7日になると、たくさんのかささぎが天の川に橋をかけます。この橋の上で、若者と織姫は一年に一回だけ会うことができるのです。そのために、この日だけは、人間の世界からかささぎがいなくなるということです。
第7課 地震の起こる日
(1)
大正十二年(1923年)九月一日、関東地方を震度7の大地震が襲いました。この地震によって、関東地方は大きな被害を受け、十万人の人が死に、七十万戸の家が壊れたり焼けたりしました。この地震は「関東大震災」と呼ばれ、その時の恐ろしさが今でも語り伝えられています。
ところで、九月一日という日付に注意してください。月の数と日の数を足すと、9+1で10になります。このことから、物理学者の坪井忠二さんは、「10になる日は大地震が多い。」と、ある新聞のコラムに書きました。記録を調べてみると、12月7日、11月26日などにも大地震が起こっているそうです。1+2+7、1+1+2+6、といるふうに、それぞれの数を足すと、不思議なことに答えはどれも10になります。
地震と日付の間に何か関係があるのでしょうか。
実は、この話にはちょっとしたしかけがあるのです。坪井さんは、こんな種明かしをしています。
月の数と日の数を合計して、いちばん小さい数は2です。これは、1月1日(1+1)、10月10日(1+0+1+0)など、1年のうちに4日あります。反対に、いちばん大きい数は20で、9月29日(9+2+9)の1日しかありません。ほかの日付は、すべて2から20の間に収まります。
その中で、10になる日はとても多く、全部で36日もあります。ですから、10になる日に大地震が多いのは不思議でも何でもないのです。なぜならば、その日が1年のうちでたいへん多いからです。
でも、もしこの種明かしがなければ、「10になる日は大地震が多い。」という話を聞いて、多くの人は、「確かにそのとおりだ。不思議だなあ。」と思ってしまうのではないでしょうか。
「迷信というものは、こうして生まれるのかもしれない。」と、坪井さんは言っています。
(2)
王:あっ、地震よ。窓ガラスがガタガタ鳴ってるわ。
佐藤:ほんと。揺れてるわね。でも、大きな地震じゃないわ。そんなに怖がらなくていいわ。震度2くらいかしら。ほら、もう終わったようよ。
王:ああ、びっくりした。佐藤さんはよく平気でいられるわね。
佐藤:地震には慣れているからよ。東京では、今くらいの地震はしょっちゅうあるわ。でも、たまには驚くほど大きな地震もあるのよ。
王:佐藤さんが驚くくらいなら、私なんか腰を抜かしてしまうわ。そんな地震が来たらどうしよう。
佐藤:だいじょうぶよ。最近の建物は頑丈だから。それに、大きな地震のときは慌てて外へ飛び出さないほうがいいのよ。腰を抜かしているほうがかえって安全かもしれないわ。
第8課 数字をめぐって
純子:ねえ。張さんは算数が得意でしょう。この問題、難しくて解けないの。教えてくれない。
1個88円のガラスのコップがある。これを運ぶと1個につき9円もらえる。でも、運ぶ途中で品物を壊すと、壊した分の運び賃がもらえないばかりか、壊した品物の代金も支払わなければならない。1000個運んで、7642円もらったとする。いったい何個壊れただろうか。
張:ほう、かなり複雑な問題だね。純子ちゃんは、どうしたらこの答えが出ると思う。
純子:まず、壊さないで全部運んだとしたら、いくらもらえるか考えて、次に、その金額と実際にもらった金額との差がいくらあるか、考えればいいと思うの。すると、こうなるでしょう。
9円×1000=9000円
9000円-7642円=1358円
張:うん。何個か壊したから、1358円もらえなかったんだね。
純子:だから、1358円をコップ1個の値段で割ればいいと思うんだけれど、割り切れないのよ。どうしてかしら。いくら考えてもわからないの。
張:なるほど。純子ちゃんは、ちょっと勘違いしてるみたいだね。1個壊したら、88円の損で済むかどうか、もう一度考えてごらん。
純子:あ、そうか。1個壊したら、88円弁償しなければならないけど、そのうえ、9円の運び賃ももらえないから……。こう計算すればいいのね。
88円+9円=97円
1358円÷97円=14個
純子:答えは14個ね。
張:そうだよ。よし、今度はぼくが問題を出そう。
ジュースの空き瓶を7本集めると、その空き瓶と引き替えに、ジュースを1本もらえるとする。では49本の空き瓶を集めると、何本のジュースがもらえるだろうか。
純子:これは簡単よ。7本集めると1本もらえるんだから、49を7で割ればいいんでしょう。答えは7本だわ。
張:残念でした。答えは8本。
純子:えっ、どうして。7本でいいはずよ。
張:もちろん、最初の49本の空き瓶からは、7本のジュースがもらえるよ。でも、その7本の空き瓶を集めたら、もう1本ジュースがもらえるじゃないか。だから「7+1=8」で、答えは8本になるのさ。
純子:あっ、そうか。でも、そんなのずるいわ。
張:ははは。ずるいと言えば、ずるいかもしれないけど、こんな問題もおもしろいだろう。
第9課 夏休みの旅行計画
(1)
交換手:はい。東京旅行でございます。
王 :もしもし。私、王と申しますが、営業部の田中さんをお願いします。
交換手:はい。少々お待ちください。
田中:もしもし。田中です。
王 :田中さんですか。王です。こんにちは。
田中:こんにちは。会社の方に電話をくださるなんて、珍しいですね。
王 :はい。実は、夏休みの旅行のことで、田中さんにご相談したいと思いまして。これから、会社に伺ってよろしいでしょうか。
田中:そうですか。旅行のことなら、会社にいろいろな旅行案内のパンフレットがありますから、ぜび来てください。何時ごろになりますか。
王 :2時ごろ、伺いたいと思います。
田中:わかりました。じゃあ、時間を空けておきましょう。会社の場所はわかりますか。
王 :ええ。だいたいわかります。東京駅の西口を出て、右の方へ行くんですよね。
田中:そうです。そして、最初の信号を左に曲がって、右側の3つ目のビルです。
王 :そうでしたね。じゃあ、友人の佐藤さんと二人で伺いますので、よろしくお願いします。
(2)
日本人は働きすぎだ、という評判が高まってきたためか、最近は、日本の会社も、一週間とか10日とか長い期間の休みを設けるようになった。その休みを利用して、都会を脱出し、海や山へ遊びに行く人や、海外旅行をする人が年々増えつつある。
また、8月の中旬は旧暦のお盆に当たるので、先祖の墓参りをするために、故郷へ帰る人がたくさんいる。ふだん離れ離れになっている家族や親戚が再会できることも、お盆の大きな楽しみになっているようだ。「民族大移動」などと言われるほど、お盆の前後には、多くの人がいっせいに帰省する。そして、またいっせいに都会へ戻ってくる。
このように、夏は旅行する人が多いため、列車がたいへん混雑するし、道路も渋滞する。旅館やホテルなども、早めに予約しておかないと、利用することができない。だから、旅行を楽しむためには、計画を立て、前もって、乗物や宿泊施設の手配をしておくことが必要である。
第10課 上野駅で
(1)
日本には、東京の言葉を土台にした共通語があり、全国どこにでも通用する言葉として、広く使われています。けれども、一方で、それぞれの地方には、その地方独特の言葉があります。その言葉を方言と言います。
方言は、その土地の風土や暮らしと深いつながりがあり、その土地その土地の味わいがあります。そして、自分が生まれ育った土地の方言には、だれもが強い愛着を持っています。
ふるさとのなまりなつかし
停車場の人ごみの中に
そを聞きに行く
これは、石川啄木の短歌です。「ふるさとの方言が懐かしくてたまらない。わたしは、その方言が聞きたくて、停車場の人ごみの中にわざわざ出かけて行くのだ。」という意味です。故郷の岩手県を離れ、東京で暮らしていた啄木は、ふるさとの言葉に特別の懐かしさを感じたのでしょう。
ところで、この短歌で歌われている「停車場」とは、上野駅のことだと言われています。上野駅は、東京の中心にあり、昔から東京の北の玄関と言われていました。東北地方や上越地方から東京へ出てくる人や、逆に帰っていく人が、おおぜい乗り降りする駅でした。ですから、そこへ行けば、啄木は生まれ故郷の言葉を聞くことができたのです。
現在も、上野駅の人ごみの中からは、相変わらずふるさとの言葉で楽しそうに話し合う声が聞こえてきます。啄木のように、ふるさとの言葉が懐かしくて、上野駅にそれを聞きに行く人が、今もいるかもしれません。
(2)
王 :ずいぶん混んでいるわね。指定席の切符を取っておいてよかったわ。みんな、青森のねぶた祭りに行くのかしら。
佐藤:ふるさとに帰る人も、多いんじゃないかしら。楽しそうに方言で話してる人が、いっぱいいるから。
王 :方言と言えば、中国ほどではないけれど、日本にも、土地によって言葉の違いがあるわね。関東では「ありがとう。」と言うのを、関西では「おおきに。」と言うんでしょう。
佐藤:ええ、どこに行っても、その土地の方言があるわ。
王 :青森にも方言があるんでしょう。
佐藤:ええ。こんな会話があるそうよ。「どさ。」「ゆさ。」ねえ、わかる。この言葉の意味。
王 :「どさ。」「ゆさ。」わからないわ。教えて。
佐藤:「どさ。」は「どこへ行くの。」っていう意味。「ゆさ。」は「お湯へ行く。」、つまり「お風呂に入りに行く。」っていう意味なの。青森は寒い地方だから、あまり外で長い話をしないんですって。だから、あいさつも短く縮めて言うらしいの。
王 :へえ、そう。方言って、やっぱりその土地の風土や暮らし方と関係が深いのね。寒いと言葉も短くなるなんて。
第11課 旅と交通
(1)
昔、鉄道や自動車のような交通手段がなかった時代には、どこへ行くのにも、自分の足で歩くしかなかった。旅をするのにも、昔の人は、何日も歩き続けるしかなかった。
江戸時代(1603年~1867年)になって、江戸(現在の東京)と日本の各地を結ぶ街道が整備され、多くの人が、街道を歩いて旅をするようになった。江戸と京(現在の京都)を結ぶ東海道は、特に交通量が多く、街道沿いの町はたいへんにぎわった。
江戸と京の距離はおよそ500キロだが、当時の人たちは、12日から15日くらいかけて、東海道を歩いたらしい。人間が1日に歩ける距離は、大人の男性で40キロぐらい。だから、毎日歩き続けたとしても、そのくらいの日数はどうしても必要だっただろう。
現在、東京と京都の間には、東海道新幹線が走っている。時速200キロ以上のスピードを誇る新幹線を利用すれば、東京を出発して、3時間もしないうちに、京都に到着する。昔は10日以上かかった場所まで、わずか3時間足らずで行けるのだから、便利になったものだと思わずにはいられない。
現代では、仕事のために新幹線を使って、東京から京都や大阪へ日帰りで出張することなど、日常茶飯事になっている。
しかし、それほど便利な新幹線だが、「新幹線を使って旅行をしてもおもしろくない。」と言う人もいる。あまり速すぎで、旅の情緒が味わえないと言うのだ。そして、わざわざ各駅停車の列車に乗って行く人もいるそうだ。
でも、こんな話を昔の人が聞いたら、きっと「ぜいたくなことを言うものだ。」と思うだろう。
(2)
田中:張さん、旅行の計画はできましたか。
張 :ええ。山田君と、京都へ行くことにしました。来週の水曜日に、たつつもりです。
田中:旅館や新幹線の予約は済みましたか。
張 :はい。旅館はもう予約しました。でも、新幹線のほうは、指定席ではなくて、自由席で行くことにしたんです。乗車券と特急券だけ買っておきました。東京発10時の「ひかり号」に乗るつもりです。
田中:ちょっと時刻表で確かめてみましょう。ああ、「ひかり5号」ですね。京都に着くのが、12時40分。早いですね。どうぞ、気をつけて。行ってらっしゃい。
張 :はい、ありがとうございます。みやげ話を待っていてくださいね。
第12課 京都からの手紙
(1)
田中健一様
拝啓
先日は、たいへんお世話になりました。私は今、山田君といっしょに京都に来ています。
京都は、古いお寺や町並みが残っている、すてきな町です。実際に京都に来てみて、この町がとても気に入りました。京都の町は、中国の西安をまねて、作られたんだそうですね。その話を聞いて、いっそう京都に親しみを感じました。
それにしても、こちらの暑さは予想以上でした。京都は盆地なので、夏は暑いと聞いていましたが、本当にうだるような暑さです。でも、今日はその暑さのなか、清水寺、龍安寺、円山公園などの名所を見て歩きました。
有名な清水寺の舞台にも上がってみました。日本では何か思い切ったことをする時、「清水の舞台から飛び降りるつもりで・・・。」と言うことがあるそうですね。中国ならば、「西安の大雁塔から飛び降りるつもりで・・・。」ということになるのでしょうか。
京都の夏の行事として有名な「大文字焼き」も、見物することができました。暗闇の中で、山の中腹に火がともったかと思うと、たちまち赤々と燃え上がり、「大」という字を作りました。その光景は、たいへん幻想的で、美しいものでした。その「大文字焼き」の行事が終わると、京都の夏は、終わりだと言われているそうですね。
そう言えば、夏休みの残りわずか。私たちも、あさっては東京に戻り、9月からの勉強の準備に取りかかるつもりです。
田中さんにいろいろと教えていただいたおかげで、とても楽しい旅ができました。ありがとうございました。お礼のしるしに、別便で京都名物のお菓子をお送りしましたので、どうぞ召し上がってください。
まだまだ厳しい残暑が続くことと存じます。くれぐれをお体をお大切に。
敬具
8月17日
張建国
(2)
山田:張君、手紙はもう書き終わったの。
張 :うん。ちょうど今、書き終わったところだよ。
山田:田中さんにどんなことを書いたの。
張 :いろんなことさ。清水寺のこととか、大文字焼きのこととか。それにしても、今夜は大文字焼きを見物することができて、よかったね。なにしろ、1年のうちで今日しか見られないんだから。
山田:うん、そうだね。でも、火が消えていくのを見ていたら、ちょっぴり寂しくなってしまったよ。もう夏は終わりなんだなあ、と思って。
張 :ねえ、山田君。あしたは嵐山へ行ってみないか。嵐山には周恩来元首相の詩碑があるそうだから、ぜひ行ってみたいんだ。
山田:そうだね。せっかく京都に来たんだから、嵐山にも行ってみよう。
第13課 50億人目の赤ちゃん
(1)
1987年7月11日、ユーゴスラビスのザグレブ市で、50億人目の赤ちゃんが誕生した。マティちゃんという男の子だ。
国連は、人口統計から、この日を50億人目の赤ちゃん誕生の日と決め、その誕生を祝うことにした。デクエアル国連事務総長が、ザグレブ市の病院を訪れ、「マティちゃんと同世代の人々が、平和で暮らせますように。」と、お祝いの言葉を贈った。
世界の人口は、1920年代に20億人だったから、この半世紀余りで二倍半に増えたことになる。21世紀の初めには、さらに10億人増えて、60億人に達するらしい。
これほど急激に人口が増加したのは、医学が進歩して、人間の死亡率が大幅に減少したからだ。高度な医療技術のおかげで、幼児の死亡率が低くなり、人間の寿命は著しく伸びている。人類にとって、たいへんうれしいことだ。
しかし、喜んでばかりはいられない。「人口爆発」という言葉があるように、人口の急激な増加は、人類を脅かすものでもある。
例えば、食糧の問題だ。現在でも、地球上には飢えに苦しんでいる人たちが、たくさんいる。このまま人口が増え続けたら、食糧問題はますます深刻になるにちがいない。また、生活や産業の廃棄物が増えて、環境が汚染されることや、人間の数に比べて、石油や石炭などの資源が不足することも心配だ。
50億人目の赤ちゃんの誕生は、人類によってうれしいニュースだが、同時に、厳しい時代の到来を告げるニュースでもある。マティちゃんと同世代の人々が、平和に暮らせることを願うとともに、私たちは、地球の未来について、いっそう真剣に考えなければならないのである。
(2)
王 :日本人の平均寿命は、世界一長いんでしょう。女性の平均寿命は80歳以上になってるそうね。
佐藤:医学が発達したから、それだけ寿命が伸びたんでしょうね。それに、食べ物が豊かになって、栄養のバランスがよくなったこともあると思うわ。
王 :人間の寿命が伸びると、人口がどんどん増えていくわね。そう言えば、地球の人口が、とうとう50億になったっていうニュースがあったわ。
佐藤:人口が増えるのは、うれしいと言えば、うれしいことなんだけど、・・・。
王 :そうね。このまま人口が増え続けたら、いったいどうなるのかって、考えさせられるわ。
佐藤:本当ね。今に、地球は、人間でいっぱいになってしまうかもしれないわね。
王 :人が多すぎて、食糧が足りなくなるかもしれないし、地球の資源だって限りがあるでしょう。深刻な問題だと思うわ。
第14課 鳥になりたい
(1)
人間は昔から、「鳥のように自由に空を飛び回ることができたら、どんなにすばらしいだろう。」と想像してきた。
ルネサンスの天才、レオナルド・ダ・ビンチも、「鳥のように空を飛びたい。」という夢を抱いていたようだ。彼は、今から500年も前に、鳥の解剖をしたり、鳥が飛ぶ時の動きをスケッチしたりして、鳥が空を飛べるわけを考えた。
彼は、現代の連続写真でなければわからないような動きまで、正確にスケッチしていると言われる。そして、その研究をもとに、彼は飛行機の設計図を残している。
レオナルド・ダ・ビンチが考えた飛行機は実現しなかったが、その後、たくさんの人たちが、空を飛ぶ方法を研究した。気球に乗って空を飛ぶことを考えた人もいた。カモメやトンビが、翼を動かさないで飛ぶことから、グライダーを考え出した。そして、とうとう今世紀の初めになって、アメリカのライト兄弟が、エンジン付きの飛行機の実験に、成功したのである。
レオナルド・ダ・ビンチの時代には、人間が空を飛べるなどと考える人は、ほとんどいなかっただろう。ライト兄弟の成功を見るまでは、飛行機の実験に興味を示す人は、ごくわずかだったそうだ。夢は、あくまでも夢だと、多くの人が思っていたにちがいない。しかし、何人かの人は、「鳥になりたい」という夢を、なんとか実現しようと努力してきた。その努力の積み重ねが、見事に花を開き、実を結んだのだ。
現在では、大型旅客機が、世界中の空を飛び回っている。そして、今や人間の夢は地球の上ばかりでなく、宇宙にまで広がっている。人類が、宇宙を自由に飛び回るのは、もはや時間の問題だろう。
(2)
王 :スミスさんは、子供のころ、何になりたいと思っていたんですか。
スミス:なりたいと思ったものは、いろいろありますけど、いちばんなりたかったのは、飛行機のパイロットですね。
王 :まあ、そうですか。実は、わたしもスチュワーデスに憧れたことがあるんですよ。子供のころは、みんな空に憧れるのかもしれませんね。
スミス:ええ。だから、これからは宇宙飛行士になりたいって思う子供たちが、増えるんじゃないでしょうか。
王 :宇宙旅行も、もう夢ではなくなりましたものね。宇宙飛行士にたって、宇宙を飛び回りたいなんて夢は、いいですね。
スミス:そうですね。夢と言えば、ぼくの弟も、タイムマシンを作りたいなんて言ってますよ。
王 :まあ、おもしろい。できるといいですね。
スミス:だけど、タイムマシンを作るという人間にしては、理数系の勉強が嫌いで、その代わり、毎日SF小説ばかり読んでるんです。
王 :SFを読みながら、タイムマシンの研究をするなんて、おもしろくていいじゃありませんか。
第15課 小さいものへの愛着
(1)
昔、中国からの使節が日本に来て、瀬戸内海を船で渡っている時、こう言ったそうだ。
「日本にもずいぶん広い川がありますね。これは何という川ですか。」
黄河や揚子江など、広大な川を見慣れた中国の人が、瀬戸内海を川だと思ったのも無理はないだろう。しかし、この言葉を聞いて、その場にいた日本人は、驚いたにちがいない。それほど中国の川は広大なのか、また、中国の自然と比べて、日本の自然はそれほど小さいものなのか、と思ったことだろう。
中国の人だけでばない。あるアメリカ人は日本の川を見て、「これは川ではない。滝だ。」と言ったそうだ。日本の川は幅が狭く、流れの急な所が多いので、そんな感想を抱いたらしい。
確かに、中国やアメリカに比べると、日本の山や川は小さい。だから、中国人やアメリカ人の目には、日本の自然が、まるで箱庭のように見えるのかもしれない。
箱庭と言えば、日本には盆栽という園芸があり、多くの愛好家がいる。これは、松や梅などを鉢に植え、小さく形を整えて鑑賞するものだ。盆栽は、もともと中国から伝わったが、日本で独特の発達を遂げたと言われている。ただでさえ小さい自然を、さらに小さくするのだから、日本人は、よほど小さいものに対する愛着が強い民族なのだろう。
同じ傾向は、産業や技術においても見ることができる。日本の工業製品で評価されているものと言えば、何と言っても、カメラや時計などの小型の精密機械だ。また、最近は、コンピュータに使う超小型の集積回路を開発する分野で、日本の技術は目覚しい進歩を遂げてい
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