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日语-参见志愿活动的感想.docx

上传人:仙人****88 文档编号:11981106 上传时间:2025-08-25 格式:DOCX 页数:6 大小:19.95KB 下载积分:10 金币
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资源描述
(平成13年3月第69号2~5p)  六年前の阪神大震災では、全国から多くのボランティアが集まり、その温かさにたくさんの人が勇気づけられた。そんな多くの善意が地域社会を支え、私達の生活も豊かにしてくれる。  そんなボランティア活動に参加している方に、始めたきっかけや感じたこと、得たことなどについて書いてもらった。 個々の人間と接する機会                    高校教諭 山道英二  今は、月一回程度大牟田市内の一人暮らしの身体障害者の食事介助と運転ボランティアなどをしている。前は共同作業所への送迎や行事があるたびに呼び出され、特にキャンプなどでは毎年参加して介助していた。  ある時、突然職場に共同作業所の責任者から電話がかかってきて「今日、Aさんを文化会館まで送迎してやって下さい」と言われて、重度の身体障害者の方にどう接したらいいか分からず、「ケガや嫌な思いをさせてはいけない」とただ必死にやっただけだったのを覚えている。あの電話はどうも同じ教職員住宅にいた方が障害者団体に紹介していたからのようだった。  最初の頃はいい気になって「俺は社会の役に立っているんだ」みたいな感じだった。頑張っている様子をただ他人にアピールしたかっただけだったのでは、と感じている。今は個々の人間との接する機会だと思っている。時間的にゆとりのない時は断るようにしている。意思がなかなか通じない時にイライラして相手に八つ当たりをしたり、今考えると非常に恥ずかしく思うこともある。  介護をする側もされる側も同じ人間だということ。いろいろなところでそれを感じる。前はただそのことを分かったふりだったのではないかと思う。障害者にとって介助は必要だから、立場はフェアではない。障害者の側は言いたいことも言えないことが多いのではないか。前は介助をしてやっているような思いがあって、強く接することが多かったようだ。自分がバカだったと今感じられるのが一番得たものかも。  最近、電動車椅子強盗も出る時代。いろんな人と接する機会がおもしろくてたまらない。 自由にしゃべれる口がある                  七病棟患者 中嶋輝洋子  平成二年、視覚障害者のために何か出来るのではと、矢ヶ部和代先生からお話しがあり、筋ジスの療友仲間と朗読テープを吹き込むサークル「さえずり」を結成した。  手、足の不自由な私達は、日常生活のほとんどが誰かの介助に支えられなければ、何一つ出来ない。そんな私達が出来ることは皆無に思っていたが、自由にしゃべれる口があると気づいた。  新聞や雑誌、通販から文庫本まで好きな記事や文章には釘付けになる。見る、読む。自在に出来るではないか。これを活かせたらと療友仲間七人で断然やる気になり、朗読なんて朝飯前と思っていた。  だが、最大の難題に気づく。誰でも自由に声を出して読めると信じてた思い違い。テープに録音した声を聞いてみて愕然とした。声は小さく、発音が不明瞭。とても聞けたものではないのだ。読めばいいと思っていた浅はかさ、一度で本番録音が完成すると思っていた愚かさを突きつけられた気がした。やるからには甘えや中途半端な妥協は許されない真剣勝負と思った。  それからはまず発声訓練に重点を置き、「アイウエオアオ、カキクケコカコ」と大きく、ハッキリ明確に、を合い言葉に全員真剣に取り組んだ。記事は、なるべく最新のを用意する。聞くだけで理解できる言葉に直し、何度も読み稽古してはチェックしてOKを出す。廊下の足音、話し声や雑音の混入によって録音は中断、最初からやり直す。冷暖房の音も結構大きい雑音と気づき、スイッチを切って録音に取り組む。吹き込んだら、最終的に編集してベストなテープを完成させる。  「さえずり」というネーミングは、仲間で記事検討し合っているときに、窓辺から鳥のさえずりが和やかで清々しく聞こえてきてひらめいた。私達の声の便りに和んでもらえたらという願いから命名。  毎月、六十分テープに記事と時の話題本の連載などを吹き込み、編集録音して筑後市内の視覚障害者にお届けして早十一年。メンバーも病状の変化でほとんど入れ替わったが、私達に出来る唯一のご奉仕として、これらかも喜んで続けていきたい。 ボランティアは偉くない             西南女学院大四年 相川麻衣子  私は、福祉の勉強をしているという事もあって、単なる興味から手話や点字教室に通っていた。そこで声をかけられ、参加した知的障害児と行く一泊二日の旅行が私の初めてのボランティアだった。  ボランティアをしていると、「偉いね」とか「すごいね」とか言われることがよくある。しかし、私はこう言われるのがあまり好きではない。それは、ボランティア活動は、自分が好きで楽しんでやっているもの、そして、自分の成長の場と思っているからだ。  私は今まで、精神病院の夏祭りの手伝い、自閉症児と一緒にいろんな活動をするボランティア、知的障害児の伴走をするボランティア、障害者の運動会のボランティア、車椅子バスケットボールの練習を手伝うボランティア、そして逢飛夢の綴じ込みなどの活動に参加してきた。  精神病院でのボランティアでは、実際に精神障害者の方と接してみることで、偏見(精神障害者は怖いなど)を少しでも取り去ることができたし、自閉症児、ダウン症児との接し方など大学の授業では不十分なことも学んだ。また、自分も車椅子に乗ってバスケットをすることで、ルールと道具を変えれば(要するに視点を変えれば)車椅子でもバスケットができるんだという実感。逆に実際長い時間乗ってみることで、車椅子での生活がいかに不便かということも経験した。そして何より、人との出逢い、ふれあいの中でいろんな人の考えを聞き、自分の人生観、価値観も変わったとも思う。  ボランティア活動に対して、初めは、意識してなくても心のどこかに「困っている人には力を貸さなければ」「必要とされているなら行ってあげよう」といったような「してあげている」という気持ちがあった気がする。  しかし、回数を重ねるごとに友達も増えるし、何より参加する事が楽しみになっていったのだ。それからは、ボランティアは「困っている人に手を貸し、なおかつ自分も楽しんでするもの」と考えるようになった。   ただ、楽しむだけではいけないと思う。任されたことは責任を持ってきちんとやり遂げなければならないし、小さなことにも目を配り、自分のものにしていこうという気持ちが必要であり、目的意識を持って参加するということが大切だと私は思う。今、ただ何となくボランティアをしている人は、自分がなぜその活動に参加しているのか、少し立ち止まって考えてみるのもいいと思う。 目標に向かう姿に感激                       主婦 中野好子  今、私は毎週火曜日に「自立生活センターちくご」にボランティアとして通っている。  火曜日は会員の方達が集まってきて、自立しようとする障害者の方の相談に乗ったり、いろいろな活動の打ち合わせをしたり、皆さん生き生きとしてそれぞれの仕事を進めていらっしゃる。私はその側で、会員の方が仕事をしやすいようにお手伝いをしている。  私がボランティアを初めたきっかけは、今から十年ぐらい前、東京に住んでいる娘が重度身体障害児の施設に就職したことだ。一人暮らしをしながら、交代勤務の仕事が娘にできるのだろうか。自分のことで精一杯だろうに、障害を持った方の世話ができるのだろうかと心配したが、娘は職場の皆さんに支えられながら一所懸命頑張っている。  そこで私もお役に立つならばと、久留米市の作業所におじゃましてお手伝いするようになったのがその手始め。そこは精神に障害を持った人達が、ボランティアの人達と一緒に、自分にできる仕事を楽しそうにやっておられた。主婦業しか経験のなかった私は、こういう場所のこういう雰囲気に初めて接し、障害を持っていても目標に向かって頑張っておられる姿に感激して、できる範囲でお手伝いをしていこうと思った。その後、「自立生活センターちくご」とご縁があり、メンバーの皆さんともすっかりなじんで、楽しくやっている。  ここでは、不自由な身体で自立している方がたくさんおられるのを知り、大変感心した。私達健常者から見ると「不自由を乗り越えて何かやる」ということは偉いと思うけど、障害を持った方は「偉いことではない、当たり前のこと」と思っておられるのだということを知った。「障害は個性である」と考えておられるということも教えられた。  一緒に考えたり、悩んだり、笑ったりして、少しでも多くのことを教えてもらいながらボランティアを続けたい。 生き方に大きく影響                    高校教諭 徳永清子  もう九年も前のことになる。当時、大牟田に勤務していて夕方もう遅い時間に帰り着くと、二人の男女が玄関先で「先生覚えておられますか」と話しかけてきた。十五年以上も前に勤務した、盲学校の卒業生とその仲間の男性であった。話は、一年前に視覚障害者の間で合唱の好きな人が集まって合唱団を発足させたこと。そして指導者を探すことになり、高校時代に合唱をした頃のことを思い出し、やってもらえないか、と相談に来たとのことだった。私としては、何よりも合唱をしたいという卒業生達の想いが嬉しく、また、私を思い出してくれたことの二重の喜びで、この申し出を役不足かとも思ったが、二つ返事で引き受けた。  それから月に一回、初めは盲学校の体育館を借りて練習。夏は暑く冬は凍りつく寒さに震えながら、しかし歌った後の充実感が忘れられず、よく通った。二十五名ほどの団員の中には、前原市や福岡市、荒尾市と遠方から通ってくる人もいる。福岡市から長崎市に転居した後も、月に一回だからと高速バスで通う人もいる。そして、九年も経った現在では、久留米市の公共施設をコンスタントに利用できるようになった。それについても、お世話をしてくれる人の努力の結果に外ならない。  私自身には、ボランティアという意識は全くなく、好きなことを好きな者同志でやっている、という言葉がピッタリしている。  練習する上ではいろいろな工夫が必要ではあるが、合唱する上で見えないというハンディは、本当にものの数ではない。むしろそのことがより充実した質の高い演奏につながることの方が多いように感じる。なぜなら、声を合わせるということは、目で確かめなくても息使いや他の人と気持ちを通じ合わせることができれば、可能であるということが分かったからだ。  そして、このことは、私自身の生き方にも大きく影響している。人は、全てに完全なものとして生きることはできないのだから。何か一つ、あるいは二つ、そしていくつもの不完全な部分を持っていたとしても、何か自分を表現できるものを一つでも見つけることができれば、それこそがその人の生きた証として残っていくことであるし、何よりも自分自身が生きていることを実感できるものとなろう。私もあまり深い考えも持たず年を重ねた感があるが、早くそのような一つを見い出したい今頃である。 受け身から提供する側へ                  六病棟患者 日高恵美  中学生の頃に点字を習い始め、卒業後からボランティアという形で点訳活動を開始した。  きっかけはとても単純で、ただ単に勉強が嫌いだったから。私が在学中だった頃の赤坂分校は、今のように高等部はなく、ほとんどの生徒は中学卒業後、通信教育を受ける、というパターンがほとんどだった。学校の勉強が本気で嫌いだった私は、小学部時代の担任の先生が点字を勉強していたこともあり、「じゃあ卒業後は点訳ボランティアになろう!」と、要するに勉強から点字に逃げたわけである。    こんな不純な動機で始めた点訳だが、いざやってみるとあら不思議!一つ一つの文字を、いろんな決まり事を覚えていって、本格的に点訳作業に入っていくうちに、何とも表現しがたい気持ちになっていったのである。その気持ちを無理やり言葉にするなら〝感動〟とでもいうのだろうか。素人の私達から見れば、ただの点が並んでいるようにしか見えないものが、実はちゃんとした文字になっていて、その文字が一つの物語を作り上げている。こんな普通のことに気づいた時、初めて点字のすばらしさを発見した。本当なら「視覚障害者の方々の役に立ちたい」とか、そんな言葉が先に出てこなければならないところだろうが、(もちろんそれも大いにあるが。)それ以前に私の中では、点字に対する「感動」の方が大きくなっていた。  点訳を始めて、感動というものを得ることが出来たが、それとともにもう一つ、〝受け身〟から〝提供する側〟になれる、という実感も湧き始めた。私達障害者は、世間一般的にはまだまだいろんなサービスや手助け等、〝与えられる側〟として認識されがちである。しかし、点訳を通して、私達にも人のために出来ることがあると気づき、人間としての自信のようなものも得ることができた。  自分の体験を通して、ボランティアとは、自分がいかに楽しめるか、充実出来るか、その一点にすべての意味が収まっているのではないか、と思う。無理せず〝義務〟とせず、地道に長く続けていければそれが一番である。 パソコンで点字を打つ日高さん 自分を変えてくれた                中村学園大四年 堀真由子  「ボランティアをする」という意識は初めからあまりなく、大学での専攻科(児童学科)の影響か、もともと障害児福祉に関心があり、接してみたいと思っていた。関心があるものの、なかなか接する勇気も機会もないまま、社会福祉サークルに入部したことがきっかけである。  そこでの活動も決して積極的ではなく、どこか心の中で、障害を持ってある方と接することに不安や恐怖、何とも言えない気遣いを感じていた。それは、私の中に障害者に対する偏見があったからだろう。  そんな気持ちで迎えた重症心身障害児施設での実習初日。一体どうやってコミュニケーションをとったらいいのか、何が伝わるのか、なぜ職員の方は笑顔でいられるのか、全てが疑問だった。  その中で、介助しながら実際に接していくうちに、人と人の触れ合いの楽しさを知り始める。そして、私の疑問や不安が、全くの偏見であることに気がついた。まばたきや指先を少し動かして返事をする方を見ていると、できないことばかり見つけていたのが、「こんなこともできるんだ」という見方に変わっていった。  もう一つ、ここで学んだことは、ありのままの自分を好きになるということ。私は、いつもどこか自分に自信がなく、ありのままの自分を見せることが怖かった。もっと親しくなりたいという気持ちは膨らむのにのに、あと一歩、心を開くことができない。そんな自分自身を見つめ直し、ありのままの自分を好きになり、自分を受け入れる大切さを知った。そうして初めて、ありのままの他人を受け入れ、好きになることができる。  本当に当たり前のことだが、誰もが同じ人間だということ、生きているということを改めて感じた。  それから、私のボランティアに対する姿勢は大きく変わった。それまでは、「私は何かをしてあげるんだ」という気持ちで、無理をしている部分、妙なプレッシャーのようなものもあったかもしれない。  しかし、私の場合、ボランティア活動は自分自身を変えてくれた。たくさんの人と出会って、多くの事を学び、私の中でいろんな面が豊かになった。ありのままの自分で触れ合うことができるようになり、何よりも自分が楽しめるようになった。思いやりという感情でボランティアをするのではなく、私にできることで役に立てることがあれば、当たり前に惜しみなくしたい。  自分の周りの小さな社会が幸せになれば、その小さな幸せがいつかどんどん増えて、障害を持ってある方も持ってない方も共生できる社会になると信じている。 ありのままの自分で触れ合う
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