1、日本のゴミ、大陸へわたる
~中国式リサイクル錬金術
千葉県、白井市にある金属スクラップの集積場です。解体現場からでるくず鉄や機械などが集められています。鉄や銅、アルミ、さまざまな種類の金属がざっぱに集められています。分別すれば、資源になりゆる資源ゴミです。しかし、分別して、再資源化するには費用もかかるため、日本ではあまり行われていません。
中国国籍の孟憲忠さん、金属スクラップを専門とするバイヤーです。中国国内に、金属の再生工場を持ち、質のよいスクラップを求めて、日本各地を渡り歩いています。孟さんが手にしているのは小さな磁石。たたいた音やくっつき具合で、金属の種類を判別しています。銅など値
2、段の高い金属がどれだけ含まれているか探るんです。
これはモーターです。
内側は銅で、外側は鉄です。
一トンあたりにいくらするか、日本の業者と値段の交渉が始まりました。
もの的には、工場用のものですから、問題ないと思うんですが。
今の相場で、この質であれば
2万5000円から2万6000円です
あのう、大体2万5000円と2万6000円ぐらい、どうですか?
その件はもう少し考えないといかないとわれますかね~
孟さんはこのスクラップの山に、三千万円以上の値をつけ、買い取りました。
浙江省、台州市にある海門港。孟さんが送り出したスクラップは日本を出て四日で、この
3、港に着きました。港は、大量の金属スクラップであふれ変えてました。 日本からの船は、多い日には一千トン級は八隻も入港。中国が受け入れる金属スクラップの量は、年間1千三百万トン。その2割は、日本からのものです。中国はこうしたスクラップに混ざって有害なゴミは国内に持ち込まないよう、輸入を厳しく規制しています。あくまでも、再生資源ごみに限って、受け入れできるのです。
孟産のスクラップの千トンは、百台のトラックにわけて、工場に運ばれていきます。港から四十分、金属スクラップ再生の町、台州市、路橋区です。極普通の農村だったこの地区は日本からの金属スクラップを受け入れ始めたのは、1990年代中ごろ、町では、
4、十万人以上の人々がスクラップの解体に従事しているとみられています。
孟さんの再生工場です。広さはサッカー場三面分、一度に六千トンのスクラップを受け入れることができます、孟さんの工場は中国政府が全国各地に建設を進めている国営のリサイクル団地のなかにあります。
労働者の数は、労役男女合わせて60人、数に物を言わせて、スクラップの山を分別解体して行きます。あらゆる種類の金属が混ざったスクラップは、言わば都市の鉱山です。
再利用するためには、鉄は鉄、銅は銅などと金属を種類ごとに細かく分けなければなりません。大きなたたまりの分別だけなら、日本でもできないことはありません。しかし、ここからが
5、中国式錬金術の新骨張です。スクラップには、通信ケーブルや機械の配線など、さまざまな電線が含まれています。中の金属を取り出すため、一本一本のケーブルの皮に軽ゴミを入れます。高価な金属、銅が出てきました。プラスチックの皮の方も立派な資源です
こちらは通信用のケーブル、銅線の周りに巻かれているアルミ箔は、銅についてねんきがあります。数種類の金属を含む機械で、産業で細かく分解されます。あっという間に、鉄、銅、アルミが分解されます。
こうした手間の掛かる産業は日本でも二十年ほど前まで盛んに行われていました
しかし、今では人件費が高く、たいさんが取れなくなっています。ここまで分別を進めてくると、
6、細々(こまごま)とした金属屑が残ります。こうした屑はスクラップの一割を占めています。日本では埋め立てるしかない金属品。
ここにも労働者たちが集まります、一つ一つを手に取り、材質をいきおめ、九つの籠に分別して行きます。“これはアルミ、これは銅、これは鉄、これはステンレスです。”最後に残ったのは土や木屑だけ。徹底した分別産業で、日本から運んだ金属スクラップの99.9%が配収されました。最後に残った僅かなゴミは、ひを管理するしょぐんじょうに埋め立てられます。
ここで働き人たちの多くは、内陸の農村から出て来た出稼ぎ労働者です。蒋桂生さん、37歳、六百離れた江西省の村から4年前にやって来ました。仕事は朝7時から夕方6時まで、金属の材質を見分けられるまで熟練したため、今では複雑な機械の分解を任されています。妻の呉小英さんは32歳、故郷には田圃があり、夫婦で米を作っていました。すごしでも多くのお金を稼ぎたいと、9歳と4歳二人の息子を祖父母に預けて、出て来たんです。
日給は二人合わせて日本円でおよそ一千円、それでも、農業に比べて、一点五倍の収入です。