1、 文学翻訳にかんする思考 ―「麒麟」を例に 文学翻訳の標準に対して、文学学者はそれぞれ自分の観点をを持っている。最大限に原文の内容と形に近づくという点に一致であるが、自分の文学能力を利用して、原文を流暢させ、訳文読者をやすく読めさせた訳文はいい訳文だという観点を持っている学者が大勢が、流暢しなくても作品本来の姿勢を完璧に訳出のほうがいいと云う観点を持っている学者もたくさんいる。村上春樹の作品を中国へ伝わる有名の翻訳者林少華と頼明珠の翻訳方法を例にして説明してみろう。二人とも省略、加筆、言い換えなどの方法を用いて最大限に原文の内容と形に近づくよう努力しているが、頼明珠の
2、訳す方法は原文の形式を忠実の守るために、簡素な言葉でシンプルな中国語文章を構成しているに対して、林少華の訳す方法は美辞麗句が全文でよくみられ、言葉表現を繊細に推敲し、全体の意図や構造のために局部の構造を重視しない箇所も存在している。読者の目から見れば、林少華の訳文は美辞麗句を用い、洗練されて流暢であると積極的な評価がある一方、誤訳や訳し漏れを指摘し、原作に「厚化粧」をしているとの批判的な論述もある。それに対して、頼明珠の訳す方法は簡潔で本文の境地を完璧に訳出したという評価の一方で、翻訳の跡は多く過ぎると批判の声もある。二人の翻訳方法、どちらがより優れているのかと、翻訳界では激しく議論をしている
3、 そのような比較をする前に、「文学翻訳者の職責」ということを考えたほうがいいと、私が思う。文学翻訳者の職責といえば、異国作品を文学作品として本国の読者へ伝えるのである。其の中で一番重要なキーワード文学作品である。文学作品と云うと、マルクスがこのように定義した。文学作品は言語をツールにして、各種の文学形式で生活を具体的に反映して、作者の人生と社会への認識と感情を伝え、人々に文学の美を感じさせるというものである。だから、文学訳文は原作の実際の状態、情景を出来るだけ客観的に再現するのは基本要求である。其の上に、読者に美を感じさせることは、翻訳者の職責である。 そして、読者に美をもたらす
4、ために、読者の感受を大事にすることは肝要なのである。読者は文学作品の第一主体だと思う。原著にしても、訳文にしても、読者のために書くものて、作者と読者の交流媒介にしかならない。読者に認可しなければ、文学作品は結果的に意義ないものにほかならない。さらに、読者は文学作品のの価値と歴史的な地位を決める主体である。文学作品の価値があるかどうか、一世代から次へ伝わられるかどうか、時間が経っても心の中で止めるかどうか、それは読者の感受次第です。 そして、翻訳者が伝えなければならない美ということは、いったい何だろうか。私の考えでは、文学の美は思想の美、文字の美、文化の美三つの面を含んている。思想の美は、原作
5、者一番伝えたいこととして、翻訳者を伝達できなければ、最低要求も及ばなく、翻訳者には失格だと思う。文字の美といえば、異国の文字と読者の間の距離を縮め、違和感と翻訳の痕跡を消し、美辞麗句と繊細的な言葉表現を用いるの上に、文字を通して、実状態と情景の再現も含んでいる。そして、異国の作品の中、必ず其の国の風土と人情、人々の考え方、其の国の歴史、自然条件などの文化特徴が染み込んでいる。読者に原作の中での文化的の美を伝えるのも、翻訳者の責任だと思う。 つまり、ハイレベルな訳文は作者本来の思想を伝えるうえに、文字の美と異国文化の美を染み込んでいるきれいな、芸術的な訳文である。 私は「読者に美をもたら
6、す」と「原作本物の生活状態を忠実に再現」と二つの原則にもとづいて、「麒麟」を翻訳した。下記は具体的な例を挙げてこの二つの原則に対するの説明である。 まずは霊台のところ、南子は感激の涙が流れていた霊公を見て、孔子が自分の霊公へのコントロール力を脅かすことを感じた時、 「あなたは決して妾の言葉に逆ふやうな、強い方ではありませぬ。あなたはほたうに哀な人だ。世の中に自分の力を持って居ない人程、哀なひとはありますまい。妾はあなたを直ちに孔子の掌から取り戻すことが出来ます。あなたの舌は、たるた今立派な言を云っ癖に、あなたの瞳は、もう恍惚と妾の顔に注がれて居るではありませんか。妾は総て男の魂を奪ふ術を得
7、て居ます。妾はやがて彼の孔丘と云ふ聖人をも、妾の捕虜にしてみせませう。」 原文の形式を忠実の守りして、直接に翻訳すれば、下記のようである。 “你绝对不是能违背得了我的话的、强大的人。你真是可怜的人。在世间没有自己的力量,难道不是可怜的人吗。我现在就能从孔子的手里把你夺回来。现在你的舌头虽然说着漂亮话,但是难道你的瞳孔没有恍惚、集中在我的脸上吗?臣妾已经掌握了可以夺得所有男人的魂儿的技能,我很快就会把那个圣人孔子作为捕获物呈现给你。” そして、読者の感覚を大切にして、読者に文字の流暢さ及びその時の境地を実体験するような感じ、つまり、文学の美を感じさせるように、私は下記のように訳した。
8、 “你不够强大,违背不了我的话。你真是个可怜的人。在这世间,都不能仰仗自己的力量活着,难道不是可怜的人吗?我现在就能把你从孔子的手里夺过来!你现在嘴里说着漂亮话,但是你的眼神没有恍惚、没有盯在我的脸上吗?我夺得了天下男人的魂儿。现在我就让你看看我连那个孔圣人的魂儿也夺得了!” このように、南子の話をもっと短く、簡潔にすることによって、南子の怒りを具体的に表現しできたうえに、その時、自分が霊公に対する絶対のコントロール力を持っていると信じる南子の顔、南子の頼るところがあれば何も怖くない態度と霊公の意気地のない性格を読者に実感させたこともできると思う。其れは、文字の美だと思う。 そして、原作は
9、作者が中国の歴史を背景にして書いた小説であるため、小説の中で、異国文化の代わりに、わが国の歴史的な生活習慣や風俗が染み込んでいる。たとえば、孔子の容貌を描く時に、 「あの男の額は堯」に似て居る。あの男の目は舜に似て居る。あの男の項は臯陶に似ている。肩は子産に類し、腰から下が禹に及ばぬこと三寸ばかりである。」 読者はほぼ中国人だから、私は下記のように訳した: “那个人的额头酷似唐尧,目若帝舜,脖颈堪比皋陶,肩膀不输子产,腰部以下至多彼禹短三寸。” たとえ原作は別の国の歴史を背景にして、我々中国人が文中の人物を知らないと、わたしは下記のように訳したほうがいいと思う。 “那个人容貌颇
10、具三皇五帝之神韵、上古贤人之遗风。他额头酷似那虽身为帝王、生活却异常简朴,爱民如子的尧帝;他眼睛好像那严于律己却待人宽厚的舜帝;他的脖颈堪比那被誉为法律之鼻祖的皋陶;他的肩膀不输于那刚柔并济以服民的子产;他腰部以下也只比那以天下为己任三过家门而不入的大禹短三寸。” このように訳したら、文化の美を融合していると思う。 文字の美を重視している林訳文にしても、文化の美に重視している頼訳文にしても、優れた訳文である。読者を大事にして、文学美を含め、文学の芸術美を感じさせる作品は、必ず人々に愛され、忠実な読者も出てくれると信じている。 以上は、私の文学翻訳への認識である 今回、卒業論文のために、私はいろいろな翻訳理論を見て、結構いい勉強になった。そして、今回、文学翻訳の実体験が私の不足な所とこれからの努力方向を示してくれた。卒業論文を書いていた日々は、私の大学最後の思い出として,一生に忘れられないかもしれないと思う。 参考文献 : [1]钱钟书,七缀集.三联书店,2002. [2]许钧.翻译思考录.湖北教育出版社,2006(4). [3]潘天强.新编马克思主义文学.复旦大学出版社,2005(5). [4]钱歌川.翻译的基本知识.世界图书出版公司,2011(8) [5]陈岩.新编日译汉教程.大连理工大学出版社,2009.






