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本篇是我在读书之暇随时写下来的。从明治五年(1872)二月发表的第一篇起,到明治九年十一月发表的第十七篇为止,截至现在,发行总数约有七十万册,其中第一篇不下二十万册。加之以前版权法不严,伪版流传很多,其数也可能有十多万册。假定第一篇的真伪版本共达二十二万册,以之与日本的三千五百万人口相比较,则国民一百六十人中必有一人读过此书。这是自古以来罕有的发行量,由此可以看出近来学问迅速发展的趋势。
本书所载论文,有的是随时适应急需而写的,有的是展望远景而作的。因系匆匆执笔,所以各篇中可能有的意义很浅近,有的却近似迂阔。
書中書記の論説は、随時、急須の為にするところもあり、また遠く見るところもありて、怱々を筆を下したるものなれば、毎編意味の甚だ近浅なるあらん、また迂闊なるが如きもあらん。
现在把它合订成一本,骤然通读全书,或者会感到前后论旨不相连贯,但如稍为深入思考,在文句之外加以吟味,就可以发现全篇的论旨是不相违背的。
今これを合して一本となし、一時合本を通読するときは、或いは前後の論脈相通ぜざるに似たるものあるを覚うべしと雖ども、少しく心を潜めてその文を外にしその意を玩味せば、論の主義においては決して違うなきを発明すべきのみ。
本书发行已有九年,先进学者如已看过以前出版的单行本,当然不必再读这一合订本,合订本只是为着今后的进步人士编订的,爰将本编的经过和体裁简述如上。
第一篇
“天不生人上之人,也不生人下之人”,这就是说天生的人一律平等,不是生来就有贵贱上下之别的。人类作为万物之灵,本应依凭身心的活动,取得天地间一切物资,以满足衣食住的需要,大家自由自在、互不妨害地安乐度日。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
但如环顾今日的人间世界,就会看到有贤人又有愚人,有穷人又有富人,有贵人又有贱人,他们之间似乎有天壤之别。这究竟是怎么一回事呢?
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。
理由很明显。《实语教》①说:“人不学无智,无智者愚人。”所以贤愚之别是由于学与不学所造成的。
その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
加之,世间有困难的工作,也有容易的工作,做困难工作的叫做身分高的人,做容易工作的叫做身分低的人。大凡从事操心劳神和冒风险的工作是困难的,使用手足从事劳力的工作是容易的。因此把医生、学者、政府官吏、做大买卖的巨商和雇用许多帮工的富农叫做身分高的贵人。由于身分高贵,家里也自然富足起来,从下面的人看来就高不可攀了。但如追根溯源,就可以知道这只是其人有无学问所造成的差别,并不是天命注定的。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々(しもじも)の者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本(もと)を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。
俗语说“天不给人富贵,人们须凭勤劳来获得富贵。”所以如上所述,人们生来并无富贵贫贱之别,唯有勤于学问、知识丰富的人才能富贵,没有学问的人就成为贫贱。
諺(ことわざ)にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人(げにん)となるなり。
所谓学问,并不限于能识难字,能读难懂的古文,能咏和歌①和做诗等不切人世实际的学问。这类学问虽然也能给人们以精神安慰,并且也有些益处,但是并不象古来世上儒学家和日本国学家们所说的那样可贵。
学問とは、ただむずかしき字を知り、解(げ)し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦(よろこ)ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴(とうと)むべきものにあらず。
自古以来,很少汉学家善理家产;善咏和歌,而又精于买卖的商人也不多。因此有些具有心机的商贾农人,看到子弟全力向学,却担心家业中落,这种做父亲的心情是可以理解的,这就是这类学问远离实际不切合日常需要的明证。
古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟(ひっきょう)その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。
所以我们应当把不切实际的学问视为次要,而专心致力于接近世间一般日用的实学②,如学习伊吕波③四十七个字母,练习写信记账,学会打算盘和使用天秤等等。更进一步,还有很多要学习的学科。例如地理学介绍日本国内及世界万国的风土情况;物理学考察天地万物的性质并探究其作用;历史是详记年代研究古今万国情况的典籍;经济学是从一身一家的生计讨论到国家世界的生计的学问;修身学则阐述合乎自然的修身交友和处世之道。
されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬(たと)えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言(もんごん)、帳合いの仕方、算盤(そろばん)の稽古、天秤(てんびん)の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土(ふうど)道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
在学习这些学问时,均可参考西洋的译本,书中内容大多用日本字母书写,学习至便。至于有才能的青年,则可兼学外文,对各项科学都实事求是,就每一事物深切追求真理,以满足当前的需要。
これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。
以上是世间一般的实学。如果大家不分贵贱上下,都爱好这些学问,并有所体会,而后士农工商各尽其份,各自经营家业,则个人可以独立,一家可以独立,国家也就可以独立了。
右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。
治学的要道在于懂得守本分。
学問をするには分限を知ること肝要なり。
人们自降生到自然界以来,本来不受任何拘束。生为一个男人就是男人,生为一个女人就是女人,并且是自由自在的。但如仅仅高唱自由自在,而不懂得守本分,则易陷于恣情放荡。人の天然生まれつきは、繋(つな)がれず縛られず、一人前(いちにんまえ)の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限(ぶんげん)を知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。
所以本分就意味着基于天理,顺乎人情,不妨害他人而发挥自己的自由。自由与恣情放荡的界限也就在于妨害他人与否。
すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。
譬如花自己的钱,即使耽于酒色,放荡无忌,似乎是个人的自由,其实绝对不然。由于一个人的放荡能成为众人的榜样,终至于紊乱世间风俗,有伤教化,因此他所花的虽然是自己的钱,而其罪是不可宽恕的。
譬(たと)えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽(ふけ)り放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然(しか)らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。
自由独立又不限于个人,还适用于国家。
また自由独立のことは人の一身にあるのみならず、一国の上にもあることなり。
我们日本是远处亚洲东部的一个岛国。自古不与外国交接,仅凭本国的物产自给衣食,也并没有感到不足。自从嘉永年间美国人来日以后才开始对外交易①,一直演变到今天这种情况。开禁后议论纷纭,其中有人叫嚣锁国攘夷,但所见异常狭隘,有如俗语所谓“井底之蛙”,其议论是不足取的。
わが日本はアジヤ州の東に離れたる一個の島国にて、古来外国と交わりを結ばず、ひとり自国の産物のみを衣食して不足と思いしこともなかりしが、嘉永年中アメリカ人渡来せしより外国交易(こうえき)のこと始まり、今日の有様に及びしことにて、開港の後もいろいろと議論多く、鎖国攘夷(じょうい)などとやかましく言いし者もありしかども、その見るところはなはだ狭く、諺(ことわざ)に言う「井の底の蛙(かわず)」にて、その議論とるに足らず。
日本和西洋各国都存在于同一天地之间,被同一太阳所照耀,观赏同一月亮,有着共同的海洋与空气,要是人民情投意合,将彼此多余的物资相互交换,并进行文化交流,就不会发生耻辱和骄矜的感觉,而能同获便利,共谋幸福,并本诸天理人情而互相友好。只要真理所在,就是对非洲的黑人也要畏服,本诸人道,对英美的军舰也不应有所畏惧。如果国家遭到侮辱,全体日本国民就应当拚着生命来抗争,以期不使国威失坠。只有这样才可以说是国家的自由独立。
日本とても西洋諸国とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海をともにし、空気をともにし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互いに相教え互いに相学び、恥ずることもなく誇ることもなく、互いに便利を達し互いにその幸いを祈り、天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴(こくど)にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄(す)てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。
至于象中国人那样,觉得除本国以外似乎没有别国存在,一见着外国人就呼为夷狄,把他们看作四只脚的牲畜,贱视他们,厌恶他们,不计量自己的国力,而妄想驱逐他们,结果反为夷狄所窘。这种情况实在是不懂得国家的本分之故,如就个人来说,就是未能理解天赋的自由,而陷入恣情放荡的状态了。
しかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄(いてき)夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤(いや)しめこれを嫌(きら)い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘(くる)しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。
我们日本自从王政维新①以来,政风大改。对外基于国际公法与各国建立邦交,对内向人民宣示自由独立的原则,例如允许平民冠姓和骑马,就是开天辟地以来的盛举,可以说是奠定了士农工商四民平等的基础。
王制一度(ひとたび)新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字(みょうじ)・乗馬を許せしがごときは開闢(かいびゃく)以来の一美事(びじ)、士農工商四民の位を一様にするの基(もとい)ここに定まりたりと言うべきなり。
今后在日本,除各人因才德地位而有相应的身份外,再也不会看到生下来就有的等级了。譬如人们不能对政府官吏无礼,虽然是理所当然的事,但并不是因为其人可贵,而只是因为他们具有才德,忠于职守,为国民执行可贵的国法,方才值得尊重,所以不是人贵而是国法之贵。
されば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処(きょしょ)とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。
在旧幕府时代,将军所用的茶僮在东海道②上通行无阻,是众所周知的。此外将军饲养的鹰比人还要尊贵,在路上碰到“御用”的③马就要让开,总之只要加上“御用”两个字,就是砖石瓦片也看成非常可贵的东西。
这是因为人们从数千百年的往古以来,一方面虽然憎恶,一方面又自然相习成风,从而在上下之间造成恶习。但究竟都不是出于法的可贵与物的可贵,而只是政府施逞威力,使人生畏,以图妨害人们自由的卑鄙作法,即所谓不具实质的虚威罢了。
旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹(たか)は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦(かわら)にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古(いにしえ)よりこれを嫌いながらまた自然にその仕来(しきた)りに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り人を畏(おど)して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。
到了现在,这种浅薄的风俗制度早已在日本国内绝迹。因此人人可以安心,即使对政府怀有不满情绪,也不必隐瞒起来,暗中埋怨,而应遵循正路,按照程序,心平气和地提出来,并毫不客气地加以批评。只要合乎天理人情,就是舍生拚命也要力争,这就是作为一国人民的本分。
今日に至りてはもはや全日本国内にかかる浅ましき制度、風俗は絶えてなきはずなれば、人々安心いたし、かりそめにも政府に対して不平をいだくことあらば、これを包みかくして暗に上(かみ)を怨(うら)むることなく、その路を求め、その筋により静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし。天理人情にさえ叶うことならば、一命をも抛(なげう)ちて争うべきなり。これすなわち一国人民たる者の分限と申すものなり。
如前所述,基于天理,个人和国家都是应当自由和不受拘束的。假如一国的自由遭到妨害,就是与全世界为敌也不足惧,假如个人的自由遭到妨害,则政府官吏亦不足惧。
前条に言えるとおり、人の一身も一国も、天の道理に基づきて不覊(ふき)自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚(はばか)るに足らず。
何况近来四民平等的基础已经建立,更可以人人安心,只要依凭天理就可以放胆行事。不过每个人都有他相应的身分,并须按照身分而具备相应的才德,要具备才德就须明白事理,要明白事理则须求学,这就是学问所以成为首要任务的原故。
ましてこのごろは四民同等の基本も立ちしことなれば、いずれも安心いたし、ただ天理に従いて存分に事をなすべしとは申しながら、およそ人たる者はそれぞれの身分あれば、またその身分に従い相応の才徳なかるべからず。身に才徳を備えんとするには物事の理を知らざるべからず。物事の理を知らんとするには字を学ばざるべからず。これすなわち学問の急務なるわけなり。
照现在的情形看来,农工商三民的身分已经比以前提高百倍,而呈现与士并肩之势,如果这三民中出现人才,政府已经开辟擢用之路。他们就应当重视自己的身分,再莫做出卑劣的事来。
昨今の有様を見るに、農工商の三民はその身分以前に百倍し、やがて士族と肩を並ぶるの勢いに至り、今日にても三民のうちに人物あれば政府の上に採用せらるべき道すでに開けたることなれば、よくその身分を顧み、わが身分を重きものと思い、卑劣の所行あるべからず。
大概世界上再没有象无知文盲那样又可怜又可恶的了。由于无知之极,就会不知耻辱,由于自己无知而陷于贫穷与饥寒交迫之境,但又不求诸自己,反而妄自怨恨邻近的富人,甚至纠集徒党,进行暴动,酿成变乱,真可谓恬不知耻,愍不畏法了。
およそ世の中に無知文盲の民ほど憐(あわ)れむべくまた悪(にく)むべきものはあらず。智恵なきの極(きわ)みは恥を知らざるに至り、己(おの)が無智をもって貧窮に陥り飢寒に迫るときは、己が身を罪せずしてみだりに傍(かたわら)の富める人を怨み、はなはだしきは徒党を結び強訴(ごうそ)・一揆(いっき)などとて乱暴に及ぶことあり。恥を知らざるとや言わん、法を恐れずとや言わん。
这些人一方面尽量依赖国家的法制来保障本身的安全并维持一家人的生活,而另一方面又从自己的私欲出发来破坏所依赖的法制,岂不是自相矛盾?
天下の法度(ほうど)を頼みてその身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼みて、己が私欲のためにはまたこれを破る、前後不都合の次第ならずや。
还有些出身清白和有相当财产的人,只顾发财,而不知教育子孙。这些子孙既未受到教育,其愚蠢自不足怪。结果有不少流于游惰放荡,使继承的祖业一朝化为烟云。
あるいはたまたま身本(みもと)慥(たし)かにして相応の身代ある者も、金銭を貯(たくわ)うることを知りて子孫を教うることを知らず。教えざる子孫なればその愚なるもまた怪しむに足らず。ついには遊惰放蕩に流れ、先祖の家督をも一朝の煙となす者少なからず。
统治这样的愚民,决不能采取讲道理来唤醒他们的方法,只有用威力来使他们畏服。西洋的俗语说:愚民之上有苛政,就是指此而言。这并不是政府严厉,而是愚民自招的祸殃。由于愚民之上会有严厉政府,而良民之上会有良好政府乃是自然之理,
かかる愚民を支配するにはとても道理をもって諭(さと)すべき方便なければ、ただ威をもって畏(おど)すのみ。西洋の諺(ことわざ)に「愚民の上に苛(から)き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災(わざわい)なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。
因此现在我们日本国内既有这样的人民,也就有这样的政治。假如人民的品质比今天还要差,而且陷于不学文盲,那么政府的法制就会比现在更为严厉。又如人民都有志于学,明白事理,并能趋向文明风气,那么政府的法制就会达到宽厚大度的地步。
ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えてなお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴(おもむ)くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。
可见法制的宽严,只按人民的德与无德来自然伸缩。没有人喜欢苛政而嫌恶仁政,也没有人不愿本国富强而甘受外国欺侮,这是人之常情。
法の苛(から)きと寛(ゆる)やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪(にく)む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
生于今世,具有报国之心的人,谁也不必身心交瘁,忧虑不安,只要他的主要努力方向是基于人情,首先端正本身的品行,笃志博学,并具备适应其身分的智德,则政府施政即易,人民也不会以受其统治为苦,从而各得其所,大家同心协力来维护全国的安宁秩序。现在我们劝学的宗旨也就在于此。
今の世に生まれ報国の心あらん者は、必ずしも身を苦しめ思いを焦がすほどの心配あるにあらず。ただその大切なる目当ては、この人情に基づきてまず一身の行ないを正し、厚く学に志し、博(ひろ)く事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備えて、政府はその政(まつりごと)を施すに易(やす)く、諸民はその支配を受けて苦しみなきよう、互いにその所を得てともに全国の太平を護らんとするの一事のみ。今余輩の勧むる学問ももっぱらこの一事をもって趣旨とせり。
后记
这次我的故乡中津开设学校,我撰述了“学问的旨趣”一文,为了供同乡的旧友阅读,曾装订成册。有人见了此书说,“此书不仅可供中津的友人阅读,如果广为传布,可以扩大对世人的教益”。于是听从其劝告,乃交庆应义塾排字印刷,供同道者一览。
第二篇
广义地说,学问有无形的,也有有形的,如心学、神学、理学等是无形的学问,天文、地理、物理、化学等是有形的学问。它们都能使人扩大知识见闻的领域,辨明事物的道理和懂得做人的本分。
学問とは広き言葉にて、無形の学問もあり、有形の学問もあり。心学、神学、理学等は形なき学問なり。天文、地理、窮理、化学等は形ある学問なり。いずれにてもみな知識見聞(けんもん)の領分を広くして、物事の道理をわきまえ、人たる者の職分を知ることなり。
为了扩大知识见闻,或须倾听别人的言论,或须自己努力自修,或须读书,所以求学必须懂得文字。但如象古人那样,以为只要能够念诵文字就算作学问,那又大错特错了。
知識見聞を開くためには、あるいは人の言を聞き、あるいはみずから工夫(くふう)を運(めぐ)らし、あるいは書物をも読まざるべからず。ゆえに学問には文字を知ること必要なれども、古来世の人の思うごとく、ただ文字を読むのみをもって学問とするは大なる心得違いなり。
文字不过是求学的工具,好比修建房屋所用的斧锯一样;斧锯虽然是建筑上不可缺少的工具,但如仅知工具名称而不知如何建造房屋,那就不能称为木工。
文字は学問をするための道具にて、譬(たと)えば家を建つるに槌(つち)・鋸(のこぎり)の入用なるがごとし。槌・鋸は普請(ふしん)に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。
正因如此,仅能念诵文字而不能辨明事理的人就不能叫做学者,所谓知其然而不知其所以然就是这个意思。
まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。
如果能够背诵我国《古事记》①而不知现时的米价,就可以说是不懂得过日子的人。又如通晓经史的奥义而不懂得经商方法,不能真正从事交易,就可以说是拙于理财之道的人。再如一个人多年尝尽辛苦,花掉几百元学费,在西学上虽有所成就,但仍不能解决个人生活,那就是不了解时势的学问。这等人只能称之为文字批发店,他的功能和会吃饭的字典一模一样,对于国家也是无用的长物,可以称之为妨害经济的食客。可见过日子也是学问,理财也是学问,能够洞察时务也是学问,哪里只有凭念诵日本、中国和西洋的书籍就等于有学问的道理?本书虽然定名《劝学篇》,但不只是劝人念诵文字。
わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書(けいしょ)・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能(あた)わざる者は、これを帳合いの学問に拙(つたな)き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金(しゅぎょうきん)を費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎(うと)き人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
我在第一篇开首就曾说过:人生来就是一律平等、自由自在和没有上下之别的。今再引申其意,加以阐述:人的出生是天之使然,而非由于人力。他们之所以能够互相敬爱,各尽其责和互不妨害,是由于根本上都是同一人类,共戴一天,并同为天地间的造物。譬如一家之内兄弟和睦相处,根本上也是基于同系一家兄弟,共戴一父一母的人伦大义。
初編の首(はじめ)に、人は万人みな同じ位にて生まれながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡めて言わん。人の生まるるは天の然(しか)らしむるところにて人力にあらず。この人々互いに相敬愛しておのおのその職分を尽くし互いに相妨ぐることなき所以(ゆえん)は、もと同類の人間にしてともに一天を与(とも)にし、ともに与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦(むつま)しくするは、もと同一家の兄弟にしてともに一父一母を与にするの大倫あればなり。
所以如就人与人之间的均衡一致而论,我们不能不说人与人是平等的。但是这种平等并不是现实情况上的平等,而是指基本权利上的平等。
ゆえに今、人と人との釣合いを問えばこれを同等と言わざるを得ず。ただしその同等とは有様の等しきを言うにあらず、権理道義の等しきを言うなり。
若就现实情况而论,人间确实存有很大的贫富强弱与智愚之别:有的是诸侯贵族,身居宫殿,锦衣美食;也有的是脚夫苦力,在陋巷暗室赁房居住,为当天的衣食奔走;有人施逞才智,充任官吏、巨商而左右天下,也有人毫无智慧,一生叫卖糖果度日;既有身强力壮的摔跤壮士,也有体质娇弱的卖笑娼妓。他们虽有所谓天壤之别,但从另一角度,就这些人的基本权利而论,则是完全平等,毫无区别的。
その有様を論ずるときは、貧富、強弱、智愚の差あることはなはだしく、あるいは大名華族とて御殿に住居し美服、美食する者もあり、あるいは人足とて裏店(うらだな)に借屋して今日の衣食に差しつかえる者もあり、あるいは才智逞(たくま)しゅうして役人となり商人となりて天下を動かす者もあり、あるいは智恵分別なくして生涯、飴(あめ)やおこしを売る者もあり、あるいは強き相撲取りあり、あるいは弱きお姫様あり、いわゆる雲と泥(どろ)との相違なれども、また一方より見てその人々持ち前の権理通義をもって論ずるときは、いかにも同等にして一厘一毛の軽重あることなし。
所谓基本权利,就是人人重视其生命、维护其财产和珍视名誉。因为天生人类,就赋与了身心的活动,使人们能够实现上述权利。这是无论如何不能用人力来妨害的。
すなわちその権理通義とは、人々その命(いのち)を重んじ、その身代所持のものを守り、その面目名誉を大切にするの大義なり。天の人を生ずるや、これに体と心との働きを与えて、人々をしてこの通義を遂げしむるの仕掛けを設けたるものなれば、なんらのことあるも人力をもってこれを害すべからず。
诸侯的生命和脚夫苦力的生命是同样贵重的,豪商之于万金和糖果小贩之于分文,其当作自己的所有物而守护的心理是一样的。
大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己(おの)がものとしてこれを守るの心は同様なり。
世间有两句不好的谚语:一句说“哭闹的孩子和地头①不好对付”,又一句说“父亲和雇主都是不讲理的”。从而有的人说人的权利也可以加以限制。这只是混淆现实情况与基本权利的说法。
世の悪(あ)しき諺に、「泣く子と地頭(じとう)には叶(かな)わず」と。またいわく、「親と主人は無理を言うもの」などとて、あるいは人の権理通義をも枉(ま)ぐべきもののよう唱うる者あれども、こは有様と通義とを取り違えたる論なり。
地头和农民虽然在现实情况上不同,但在权利上并无不同之处,如果农民身上的疼痛发生在地头的身上,也会一样痛,又如把地头爱吃的东西放在农民的嘴里,农民也会爱吃,憎恶疼痛和喜欢美味是人们的情欲,在不妨害他人的限度内达到可以达到的情欲就是人的权利。这种权利在地头和农民之间没有丝毫轻重之别,只是地头富而强,农民贫且弱而已。贫富强弱是人们的现实情况,本来就不能相同。
地頭と百姓とは、有様を異にすれどもその権理を異にするにあらず。百姓の身に痛きことは地頭の身にも痛きはずなり、地頭の口に甘きものは百姓の口にも甘からん。痛きものを遠ざけ甘きものを取るは人の情欲なり他の妨げをなさずして達すべきの情を達するはすなわち人の権理なり。この権理に至りては地頭も百姓も厘毛の軽重あることなし。ただ地頭は富みて強く、百姓は貧にして弱きのみ。貧富、強弱は人の有様にてもとより同じかるべからず。
但如现在有人想倚仗富强之势,对贫弱的人肆行无理,以为这也是现实情况的不同,而没有妨害他人的权利,那就好比一个力士以为自己腕力大,就用他的腕力拧断邻人的手腕一样。虽然邻人的腕力本来比力士的腕力弱,但是他那原来就弱的腕力并不妨害他自己的灵活使用,所以不能成为被拧断的理由,只能说被力士拧断了手腕是不幸之至。
しかるに今、富強の勢いをもって貧弱なる者へ無理を加えんとするは、有様の不同なるがゆえにとて他の権理を害するにあらずや。これを譬えば力士がわれに腕の力ありとて、その力の勢いをもって隣の人の腕を捻(ねじ)り折るがごとし。隣の人の力はもとより力士よりも弱かるべけれども、弱ければ弱きままにてその腕を用い自分の便利を達して差しつかえなきはずなるに、いわれなく力士のために腕を折らるるは迷惑至極と言うべし。
①日本封建时代的地方官吏,主要的职务是征收租税。——译者
兹将上述理论结合世事来谈一谈。在旧幕府时代,武士和平民之间有很大的差别,武士们作威作福,对待农民商人就象现在对待犯人一样,甚至有“格杀勿论”的法律②。在这种法律之下,好象平民的生命并不属于自己,而是借来的一样。农民商人无缘无故地要对武士低声下气,在外让路,在家让坐,甚至自己喂的马都不能骑。这岂不是蛮不讲理吗?
また右の議論を世の中のことに当てはめて言わん。旧幕府の時代には士民の区別はなはだしく、士族はみだりに権威を振るい、百姓・町人を取り扱うこと目の下の罪人のごとくし、あるいは切捨て御免などの法あり。この法によれば、平民の生命はわが生命にあらずして借り物に異ならず。百姓・町人は由縁(ゆかり)もなき士族へ平身低頭し、外にありては路を避け、内にありて席を譲り、はなはだしきは自分の家に飼いたる馬にも乗られぬほどの不便利を受けたるはけしからぬことならずや。
②在德川时代,如果武士认为平民和贱民对他们无礼,就可随时随地拔刀砍杀,称为“格杀勿论”。——译者
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